真情性がからかわれる時代、偽善は今や韓国のトレンディーな商品になった。小説家ハン・ウンヒョンの短編『植物性観相』には、ソウル延南洞のビーガン飲食店「糊(のり)を食うトラ」が登場する。菜食主義者のためのこの店のアルバイトは、全員が外国人。外国人観光客が非常に多い街だということに加え、キオスク(タッチパネル式セルフ注文装置)のおかげで接客の負担もない。デンマークのルーカス、香港のタム、日本のハルカを選んだ後、社長は追加で黒人をもう一人選ぼうと言う。条件がある。「(アフリカではなく)フランスの黒人のようなの。そういう子を一人連れてきて。白いエプロン一つ着せておけば売り出しはおしまい」。PC(ポリティカルコレクトネス、政治的正しさ)を前面に押し出して工場式の畜産を批判していた社長は、本性をあらわにする。「障害者も一人連れてきて。表情がゆがんでる種類は駄目。足が不自由なのも駄目。腕が不自由なくらいがいいんじゃないか」。すさまじい偽善に、マネジャーは問う。一体なぜビーガン飲食店をしているのかと。社長の答えは明快だ。「ブルーオーシャン(競合相手のいない、未開拓市場)だったから」
偽善がブルーオーシャンになる時代。もしかすると、最大の被害者は「善」だ。正義と公正も同様だ。本来の善き意味が全て蒸発した中で、市民はこの名詞を前面に押し出す人々を信用しなくなり始めた。こんな災厄に遭わねばならないとは、正義と公正が何を誤ったというのか。
魚秀雄(オ・スウン)記者