弱点と逆境を乗り越えたあの時のように…走れ、李鳳柱!

闘病中の元マラソン五輪代表・李鳳柱、4年ぶりにレース出場

 韓国最高のマラソンランナーにとって、コンプレックスは肺活量の少なさではない。数年前に会った李鳳柱(イ・ボンジュ)は、「(コンプレックスは)小さな目だった」と話した。そのため選手時代に二重まぶたの手術を受けたが、監督は「走っていると目に汗が入って前が見えにくくなるから…」とごまかした。李鳳柱は「目が大きい人たちは、目が小さい人のつらさが分からない」と話した。

【写真】難治性疾患に苦しめられてきた元マラソンランナー李鳳柱…4年ぶりレース出場

 李鳳柱が再び走る姿を、今更ながらYouTubeで視聴した。今年4月に江原道三陟市で開催された「黄永祚(ファン・ヨンジョ)国際マラソン大会」。背中が曲がる難治性の疾患に苦しんできた李鳳柱が、ランニングシューズを履いて4年ぶりにコースに立ったのだ。走ったのは短い距離だったが、うれしかった。李鳳柱は「もう少し元気になったら10キロ、ハーフ、フルマラソンまで完走できる体をつくりたい」と話した。

 この日は友人で元マラソンランナーの黄永祚と共に走った。黄永祚の故郷・三陟には李鳳柱の妻の実家がある。現役時代は4回同じレースを走り、李鳳柱が1勝3敗と圧倒された。これは全盛期が違っていたからだ。李鳳柱は一時期「心の底から黄永祚の心臓が欲しい」と言っていた。生まれつき肺活量に恵まれ、粘り強さやスピードの面でも傑出したランナーだったからだ。

 一方の李鳳柱は弱点だらけだった。左右の脚に差があり、左脚が右脚よりも4.4ミリ長かった。走るときにバランスが取れなかった。さらに「亀ランナー」と呼ばれるほど、スピードがなかった。100メートルの全力疾走では一般の選手なら11-12秒だが、李鳳柱は14秒も掛かった。スピードのなさを持久力で補わなければならなかった。

 引退した李鳳柱は、話術に長けていた。小学校の運動会で保護者の徒競走に出場したというエピソードを聞かせてくれた。「無理やり言われて仕方なく出場したんですが、私は短距離は苦手なんですよ。『李鳳柱が走るぞ』ってものすごく期待していた人たちの前で、3位に入るのがやっとだったんです。1位と2位になった方は一生自慢できるでしょうね。『俺は徒競走で李鳳柱に勝ったんだぞ!』って」

 しかし、韓国のフルマラソンの最高記録保持者は今でも李鳳柱だ。2000年に出した2時間7分20秒。肺活量、スピード、長さの違う脚など、不利な条件を克服しようと努力した結果、いつの間にか国民のマラソンランナーになっていた男。他人に追い付こうと思えば人より汗を流さなければならなかったし、練習時間と距離を増やしていくうちに持久力がどんどん強化された。「弱点のおかげで長所が生まれたんですよ」

 楽観的な人間だった。悪いことが起きてもすぐに忘れ、前だけを見て走り続けた。李鳳柱は「米アトランタ五輪で3秒差で金メダルを逃したのは、『怠けるな』という神のおぼしめし」だと話した。再びコースに立つ姿を見ながら、回復を祈った。走れ、李鳳柱。

パク・トンギュ週末ニュース部長

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