ベトナムの抗仏戦勝70年と歴史の教訓【朝鮮日報コラム】

 ベトナム西北部の都市ディエンビエンフーに5月初め、国際社会の視線が集まった。国父としてあがめられているホーチミン率いる共産軍が70年前の同日ここで約50日間にわたる戦闘の末、フランス軍を退けたディエンビエンフー戦闘勝利70周年記念行事が開かれたのだ。

 ヘリコプターによる祝賀飛行が行われ、市民と軍人が勝利のパレードを行った。敗戦国フランスの国防長官や報勲長官も記念式に初めて参加した。ディエンビエンフーの戦いは、アジア被植民地が欧州植民統治勢力を武力で屈服させた初めてのケースだ。戦勝70周年は過去のものとなったが、お祝いムードは年を越えて続けられる見通しだ。米国を追い出し、南ベトナムを武力で併合した統一50周年が来年4月に迫っているためだ。

 米国の要請で派兵した韓国は1992年にベトナムとの敵対関係を清算し、国交を樹立。経済や文化など各分野で急速に関係を深めている。こうした事情のため、ベトナム統一の歴史にあえて向き合うのははばかられることだろう。しかし、ディエンビエンフーの戦いから統一に至る約20年の軌跡は、分断状態にある大韓民国にとって重要な教訓を与えていると思われる。

 フランスを撃退して士気が高まったベトナム共産勢力は1955年、米国の支援の下に南ベトナムが樹立されると、赤化統一を目標とした。これは1960年に「南ベトナム民族解放戦線(通称ベトコン)」の結成につながった。米国の支援を受ける南ベトナムに比べて武器や兵力で絶対的劣勢にあったが、共産勢力には宣伝と扇動という手段があった。

 南ベトナムが権力層の不正や腐敗、クーデターなどにより政治的混乱を引き起こしていた隙を狙った。国論を分裂させ、反米感情を高め、反戦世論づくりで緊張を和らげた。決定打は1968年1月の「旧正月テトの総攻撃」だった。南ベトナム全域にわたる31カ所で軍警と米軍を襲撃した共産勢力は、南ベトナム軍(1万4000人)、米軍(2000人)よりも多い5万人が命を失ったが、米国社会に反戦世論を巻き起こし、米軍が撤収する重大なきっかけとなった。1975年4月、南ベトナムの首都サイゴンが陥落し、赤化統一が完了した。

 ベトナム統一の過程が示す歴史の教訓は二つだ。分断国家における内紛は敗亡への近道であるということ、そして力があってこそ生き残るということだ。今、韓国が国際社会で待遇を受けているのは「力のある国」だからだ。しかし、この力が持続するかどうかについて不安にさせる状況が随所で観測されている。政界は分裂し、民心は冷め切っている。大韓民国の正統性を否定する勢力の声は衰えず、核やミサイルで威嚇してきた北朝鮮は最高裁までハッキングした。今年11月の米大統領選挙で政権交代が行われれば、在韓米軍の撤収・削減が現実化するという見方は強まっている。豊作時は凶作に備えるのが基本だ。韓国と包括的戦略パートナー関係に格上げされたベトナムであるだけに、国家の祝賀行事は祝うべきだが、その裏で教訓を見いだすことも忘れないでほしい。

チョン・ジソプ記者

<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c) Chosunonline.com>
関連ニュース
関連フォト
1 / 1

left

  • ▲イラスト=UTOIMAGE

right

あわせて読みたい