韓国の文在寅(ムン・ジェイン)前大統領が5月17日に出版した回顧録『辺境から中心へ』で「相応する措置があれば非核化したいという(北朝鮮の)金正恩(キム・ジョンウン)委員長(朝鮮労働党総書記)の約束は本気だったと思う」と記した。文・前大統領は、2018年4月の板門店南北首脳会談の際に「徒歩の橋」で2人きりで対話をした際、金正恩総書記が「娘世代にまで核を頭に乗せて生きるようにはできないじゃないか」とし「(核を)使う考えは全くない」と発言したと回顧した。金正恩総書記は最近「有事の際に核武力を動員して南朝鮮全領土を平定するための大事変準備に拍車をかけよ」と指示している。
【写真】19年に板門店で会談した文在寅大統領とトランプ米大統領と金正恩国務委員長(肩書は当時)
文・前大統領は、いわゆる「金正恩の非核化の意志」にもかかわらず18年6月のシンガポールと19年2月のベトナム・ハノイにおける米朝首脳会談が非核化につながらなかったことを巡り、米国のドナルド・トランプ大統領(当時)のブレーン陣が問題だったと指摘した。こうした記述は米国側の当事者らの回顧とは大きな差がある。
■文・前大統領「トランプ氏の周辺が対話の足を引っ張った」
文・前大統領は「朝米首脳会談にブレーキをかけて最後にはハノイ会談を決裂させた過程を見ると、トランプ大統領の周辺でポンペオ(国務長官)やボルトン(国家安全保障担当大統領補佐官)、果てはペンス副大統領までもが対話の足を引っ張る役をしていた」とし「われわれとしては、トランプ大統領が直接対話に乗り出すよう引っ張っていくのが最善だった」と記した。また、トランプ大統領がハノイ会談決裂後に文大統領に謝りながら「自分は受け入れる考えがあったが、ボルトンが強く反対してポンペオも同調するのでどうしようもなかった」と言ったと主張した。
だが、2020年に出版されたボルトン元補佐官の回顧録によると、最終会談でトランプ大統領は金正恩総書記に対し、北朝鮮が主張する「完全制裁解除」の代わりに「一部制裁緩和」をするのはどうかと尋ねたという。もし金正恩総書記がそのとき「イエス」と答えていれば、何らかの合意が出ることもあり得たが、金正恩総書記が受け入れず会談は決裂した、という意味だ。
米朝実務交渉の過程における米国側の核リスト提供要求に関連して、文・前大統領は「金委員長が『信頼のある関係でもないのに爆撃ターゲット(のリスト)を出せというのは話にならない』と言い、トランプ大統領にこの言葉を伝えたら、彼も『私でもそう思うだろう。金正恩は賢い』と語った」と主張した。
■「金委員長は記者会見後、『上手だったか』と尋ねた」
文・前大統領は金正恩総書記について「極めて礼儀正しかった」と述べた。板門店の「徒歩の橋」散策時には、金正恩総書記が南北首脳共同記者会見について自分に相談してきた、と明かした。文・前大統領は「金正恩委員長が『(記者会見を)一度もやったことがない。どうすればいいのか』と尋ねた。記者会見を終えてきてからも、自分は上手だったか、こういうふうにすればいいのか、と私に尋ねた」とつづった。
最初の米朝首脳会談の場所について米国側から、フロリダにあるトランプ大統領の別荘「マララーゴ」、ハワイ、スイスのジュネーブなどを提案してきたが、金正恩総書記が「われわれの専用機で行くのが困難。米国側から、飛行機を送ってやることもできると言われたが、プライドを害するからできないじゃないか」と悩みを打ち明けたという。北朝鮮は板門店を最も好み、鉄道で移動できるモンゴルのウランバートルが次点だった。それも難しいのなら、米国が北朝鮮の海域に空母のような大きな船を停泊させて会談をやろうと提案してきた、と公開した。文・前大統領は「場所がシンガポールに決まったせいで、北朝鮮は中国の飛行機を利用せざるを得なかった。北朝鮮を再び中国と密着させる契機になった」と主張した。
こうした背景を明かしつつ、文・前大統領は「北朝鮮と米国も、われわれの仲裁の努力を当然の役割として受け入れた」とつづった。だが金正恩総書記は、18年9月にトランプ大統領に送った親書で「私は閣下と直接、韓半島非核化問題を話し合うことを希望しており、今文在寅大統領が示している過度の関心は不必要だと考える」と記した。ボルトン元補佐官も回顧録で、19年6月の南北米板門店会談について「トランプは文在寅大統領が近くにいないことを望んでいたが、文大統領はかたくなに出席しようとした」と述べた。ポンペオ元国務長官も、回顧録で「金正恩には文大統領のための時間も、尊敬の心もなかった」とした。