1990年代に登場した芸能事務所SMエンターテインメントは、男性アイドルグループH.O.T.(エイチオーティー)や女性アイドルグループS.E.S(エスイーエス)をデビューさせ、K-POP誕生の「のろし」を上げた。そして、JYPエンターテインメントやYGエンターテインメントと共にK-POP時代を切り開いた。この芸能事務所3社を率いたのはイ・スマン氏、パク・ジニョン氏、ヤン・ヒョンソク氏という傑出した歌手出身者たちだった。だが、2005年に登場したパン・シヒョク氏は違った。歌手出身ではない経営者として、K-POP最高のヒット・ブランドである男性アイドルグループBTS(防弾少年団)を誕生させた。
【写真】「来るならタイマンで来い」 ミン・ヒジン語録をあしらったTシャツ
「社長パン・シヒョク」はK-POP芸能事務所に米国式マルチレーベル体制を導入した。レーベルは親企業傘下の子会社だと言える。パン・シヒョク氏が議長を務めるHYBE(ハイブ)の下、BTSが所属するBIGHIT MUSIC(ビッグヒット・ミュージック)をはじめ、SOURCE MUSIC(ソースミュージック)、PLEDIS(プレディス)、BELIFT LAB(ビリーフラボ)、ADOR(アドア)などが布陣している。ADOR所属のガールズグループNewJeans(ニュージーンズ)が昨年、1100億ウォン(約125億円)を超える売上を記録し、BTSの兵役によるブランクを見事に埋めた。レーベルの育成に果敢に投資した実業家パン・シヒョク氏の先見の明が光った瞬間だった。ADOR代表ミン・ヒジン氏もEXO(エクソ)や少女時代を育てたこの分野の第一人者だ。
そのような歩みを経てきたパン・シヒョク氏とミン・ヒジン氏という2人の代表が、ADORの経営権を巡って見苦しい争いを繰り広げている。株だのプットオプションだのと言って、K-POPを愛してきたファンたちを失望させている。ポップカルチャーとは関係のない両代表の確執に対する反感をうかがわせる出来事が先日のミン・ヒジン氏の記者会見だった。その日のミン・ヒジン氏は記者会見の場にふさわしいスーツではなく、長袖Tシャツにキャップを深くかぶった姿で大衆の面前に現れた。テレビ局の動画共有サイト「ユーチューブ」チャンネルでその様子を見たファンたちは、ミン・ヒジン氏の言葉だけでなく、そのファッションにも関心を注いだ。そして、ミン・ヒジン氏が着てきた服や帽子はインターネット・ショッピング・サイトで完売した。
ファッション業界ではこのような現象を「ditto(ディト)」というイタリア語で説明する。「私も同じだ」という意味だ。ディトは成功した芸能人のスタイルやファッションをまねしたいという一般大衆の欲望が起こす現象だという。ソウル大学生活科学学部の金蘭都(キム・ナンド)教授は「トレンドコリア2024」で、「ディトは単に社会の傾向に倣う流行ではなく、特定分野に関心のある人々がその分野で先に成功しているセレブたちをうらやむ文化現象だ」と説明する。
パン・シヒョク氏は、HYBEという言葉の由来を説明していないが、「連結と拡張を指向するという意味だ」と語った。HYBEは「hive(ハチの巣)」も思い起こさせる。多くのK-POPファンは、複数のレーベルを従えるHYBEが大きなハチの巣になり、レーベルという部屋を育ててくれるものと期待している。今回の事態は、ジャンルが差別化されていないレーベル間の過度な競争も一因だと言われている。ユニバーサル・ミュージックのようにそれぞれを個性のあるレーベルに育てることも考えてほしい。
金泰勲(キム・テフン)論説委員