【ソウル聯合ニュース】日本による植民地時代に朝鮮半島の緑化と文化保存に尽力した日本人、浅川巧(1891~1931年)の没後93年の追悼式が2日、韓国・ソウルの公共墓地、忘憂里公園墓地で執り行われた。
韓国市民団体の浅川伯教・巧顕彰会が開いた追悼式には、金宗圭(キム・ジョンギュ)文化遺産国民信託理事長や申鳳吉(シン・ボンギル)韓国外交協会長、鄭在淑(チョン・ジェスク)元文化財庁長、在韓日本大使館の川瀬和広公報文化院長(公使)ら約20人が参列。追悼の曲を歌い、浅川巧の兄の伯教(1884~1964年)が弟のために残した追悼の詩を朗読した。
浅川巧は朝鮮総督府の林業試験所職員として造林に取り組み、朝鮮半島の緑化に貢献した。伯教とともに、陶磁器をはじめとする朝鮮の民芸品の研究・保存にも力を注いだ。1931年に40歳の若さで亡くなると、遺言に従い朝鮮の地に埋葬された。
川瀬氏は、韓国と日本の若者が互いの文化や食を共有する様子に浅川巧も喜んでいるだろうと述べ、両国政府間の関係が山あり谷ありでも、今後ますますの改善を願うとした。