日本の大相撲3月場所(春場所)で新入幕の20代力士がいきなり優勝するという偉業を成し遂げた。主人公は24歳の前頭・尊富士弥輝也(たけるふじ みきや)=本名:石岡弥輝也=だ。尊富士は24日、大阪府立体育会館で行われた3月場所千秋楽で豪ノ山(25)を破り、13勝2敗で優勝杯を手にした。日本相撲史上、新入幕で優勝を果たしたのは2人目だ。1人目は1914年5月場所で優勝した両國勇治郎で、110年ぶりの快挙だ。
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尊富士の優勝は単なる偶然やまぐれではない。前日の取組で右足首の靱帯(じんたい)を痛め、車いすで病院に搬送されたためだ。ほとんどの人々が「尊富士は24日の取組に出られないだろう。優勝は2位の大の里(23)の勝敗にかかってくる」と考えた。しかし、尊富士は人々の予想を裏切って土俵に現れた。右足首にガッチリとテーピングをしていた。NHKなどの生中継ではしきりにその右足首が画面に映し出された。悲壮な表情で土俵に上がった尊富士は恐ろしいほどの勢いを見せ、豪ノ山を約10秒で押し出し、優勝を決めた。
取組後のインタビューで、尊富士は「昨日の足首のケガは歩けないほど深刻だったし、痛みのために眠れなかった。しかし出場しなければ一生後悔すると思った。正直言って(ケガのため)無理だと思ったが、強行してよかった」と話した。そして、大相撲で唯一の現役横綱・照ノ富士(32)から前夜、「お前ならやれる」と言われたとも語った。尊富士は「『(先輩に励まされても)土俵に上がらなきゃ男じゃない』と思い、出場を決意した」も言った。2人は同じ伊勢ヶ濱部屋の所属だ。
同日、尊富士の故郷・青森県五所川原市では、住民約160人が市役所庁舎に集まり、尊富士の奮闘を見守った。「親族はもちろん、出身の相撲道場の師匠や後輩たちもそれぞれの地域で取組を見て尊富士を応援した」と日本のメディアは伝えた。尊富士の母親・石岡桃子さんはNHKとのインタビューで、「昨日の取組のケガで心配になって急きょ青森を出て飛行機で来た。不安な気持ちで見ていた。このような形で優勝して震えが止まらないくらいうれしい」と語った。尊富士を小学校5年生から中学校卒業まで指導したという越後谷清彦さんは「痛み止めを打ったのかもしれないが、とてもいい相撲をとってくれた。周りの人の協力があって今があることを忘れずに、多くの人に愛されるような力士になってほしい」と話した。
東奥日報など青森県の地元紙は同日午後、尊富士の優勝で号外を発行した。五所川原市の佐々木孝昌市長は「不撓(ふとう)不屈の精神が現れた取組で、感動のひと言だ。地元にとってこれほど栄誉なことはない。『市民栄誉賞』を設けて第1号を尊富士に贈る」と発表した。
1999年に日本の青森県で生まれた尊富士は保育園のころ、アマチュア相撲の選手だった祖父の影響で相撲を始めた。小学校5年生の時、小学生の相撲全国大会で個人3位になった。その後、第63代横綱の名を冠した相撲道場「つがる旭富士ジュニアクラブ」を経て、相撲の名門校・鳥取城北高校と日本大学に進学した。大相撲入門後は2022年11月場所でプロの一番下の地位である序ノ口になり、その後、序二段・三段目・十両など相次いで昇級、今年の3月場所で新入幕を果たした。今場所の千秋楽に行われた授賞式で、尊富士は日本相撲協会が贈る三賞「殊勲賞・敢闘賞・技能賞」を総なめした。力士1人が三賞すべてを受賞するのも24年ぶりとのことだ。 最近、低迷していた日本の大相撲界だが、新たなスター誕生という好材料により、中興に期待がかかっている。
キム・ドンヒョン記者