韓国の進歩(革新)系最大野党「共に民主党」の比例衛星政党である「共に民主連合」の候補リストにおいて、親北・従北傾向の候補が大挙して当選圏入りすることが予測される中、李在明(イ・ジェミョン)代表がこうした人々の国会制度圏入りの道を開いてやった、という批判が強まっている。親北・従北勢力は、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)総書記が昨年末に「統一路線放棄」を宣言したのに伴って、韓国国内での活動において事実上道を失った状態だったが、李代表と民主党が衛星政党を使ってロープを垂らしてあげた格好だ。
この状況を巡り、親北・従北勢力の過去の活動に詳しい人々の間からは「23年前の『君子山の約束(暴力闘争から合法的闘争に転じる左派の決議)』が思い浮かぶ」という声が上がった。それ以前の親北・従北傾向のNL(民族解放)は主に街頭闘争を熱心に行っていたが、その後は既存の合法的政党を「宿主」とした制度圏入りを試みるようになった。君子山の約束が思い浮かぶというのは、NLが民主党を媒介として「君子山の約束の実現」に突入した-という意味だ。
実際、NLは君子山に集まった後、民労党に大挙入党して党権を掌握した。民労党の主軸だったシム・サンジョン、魯会燦(ノ・フェチャン)らは党から追い出された。この過程で民労党の実力者として君臨し、「党権派」と呼ばれた勢力が、NLの一派である京畿東部連合だ。京畿東部連合の本拠地は京畿道城南市。元城南市長の李在明代表が京畿東部連合の関係者らと親しいという話が出るのも、こうした地域的縁故に由来する。
NLが接収した民労党は2006年に「一心会スパイ事件」が発覚して従北のアイデンティティーを持っていることが明らかになり、その後、大衆の支持を失って枯死の危機にも直面した。しかし12年の総選挙で統合進歩党と名前を変え、華麗に復活した。民主党が統合進歩党の「野党連帯」にすがったおかげで、統合進歩党は13議席を得た。この13人のうちの1人が京畿東部連合のトップ、李石基(イ・ソッキ)元議員だ。
13年に李石基氏の「内乱扇動事件」が発覚し、翌14年には憲法裁判所が統合進歩党の解散を決定した。だがNLと、その主軸である京畿東部連合などの勢力・組織は揺るがなかった。韓国政界の関係者は「京畿東部連合出身者らは各地域に散らばり、学習塾を開いたり清掃業を営んだりする形で地域に密着して勢いを維持し、増えていった」「憲裁の解散命令でもびくともしなかった理由」と語った。