群馬県の朝鮮人労働者追悼碑撤去を巡る論争が盛んだ。2012年の追悼式典における主催者側の「強制連行」という言葉を問題にして、今年1月に群馬県側は追悼碑の許可更新を拒否し、撤去してしまった。日本の最高裁で2022年に出た判決が、その司法的根拠を提供したが、後味は悪い。「うその記念物は日本に必要ない」と従軍慰安婦否定論者らが加勢している状況だが、この事案は解決したわけではなく、まだ進行中だ。
関連資料を読んでみると、強制労働の不当性を力説する韓国の民族主義者、強制労働の存在を最初から否定する日本の極右否定論者、自発的意思を強調する韓国のニューライト、皆同じ認識を共有しているという思いを振り払い難い。
朝鮮人労務者らが、自らの意に反して強制的に連れてこられたから強制労働だという主張と、「募集」「官あっせん」「徴用」による労務は強制ではないから強制労働に該当しないという主張は、激しく対立しているように見える。だが細かく見ると、強制労働は姿を消し、強制連行かどうかを巡って互いに「相手がうそをついている」と争っている格好だ。
歴史は〇×問題ではない。両方とも正しいし、両方とも間違っている。自発的意思で日本へ渡った朝鮮人労働者もいるし、本人の意に反して強制的に連れていく行為もあった。単に朝鮮人だけでなく、徴用で連れてこられて過酷な労働を強要された日本人も多かった。
仮に、日本の否定論者や韓国のニューライトの主張のように、強制連行が全くなかったとしよう。そうだとしても、強制労働はなかったという主張が正当化されるわけではない。21年4月16日に「日本維新の会」所属の馬場伸幸議員が衆議院に提出した強制労働関連の質問書と、それに対する当時の菅義偉内閣の答弁書は、明らかに問題が多い。
朝鮮人労働者らが一括して強制的に連行されたと言えるか、という馬場議員の質問に対し、菅内閣は「募集」「官あっせん」「徴用」による労務は「強制労働」に該当しないと答弁した。答弁で菅内閣は、1932年に日本が批准した国際労働機関(ILO)の「強制労働ニ関スル条約」(1930年、29号条約)をその根拠に挙げた。
国家動員体制の労務動員を強制動員から排除したこの条約は、第2次大戦後、人権と労働の基本権の基準を引き上げるその他の国際条約・宣言を経て、2014年に国家動員体制の強制労働も認める方向へと最終修正された。