2年前の2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が始まった日、ポーランドとウクライナの国境にいた。朝9時ごろ国境の検問所に到着すると、ポーランド側へ渡ろうとする避難民の列が既に数百メートルも伸びていた。検問所の中に入って写真を撮ろうとしたら、小銃を背負った警備兵が前をふさいだ。鉄窓の向こう側から混乱と恐怖に満ちた目でこちら側を見つめていた避難民の表情が忘れられない。
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この件を皮切りに2年間で計5回、ウクライナ国境を越えて戦争の現場を取材した。ポーランド国境からキーウまで700キロを行き来する間、破壊された建物や集落、戦争犠牲者の墓地と常に遭遇した。空襲でインフラが破壊された地方都市は、電気や暖房、水道などどれ一つまともなものはなかった。毎夜、ミサイルやドローンの攻撃を心配しながら眠りに就き、昼間も絶えず空を見上げながら道を歩くことの繰り返しだった。70年前の韓半島の様子も、これと大きくは違わなかったことだろう。
ロシアの侵攻前日まで、ウクライナ人の10人中7人は「戦争は起きないだろう」と固く信じていた。西側のロシア専門家らもまた「冷徹なプーチンは自分の没落を招きかねない戦争には絶対に飛び込まない」と断言していた。今では誰も、そのようには考えない。2月16日付の紙面でインタビューしたウクライナ人たちは「戦争が起きるだろうというシグナルは常にあったが、私たちはそれをわざと無視した」と後悔していた。ロシア専門家らは「数年以内に、ロシアと北大西洋条約機構(NATO)間の紛争が起きることもあり得る」という暗鬱(あんうつ)な予想すら出している。
ウクライナ戦争は、もう3年目に入る。中東での戦争まで重なる中、「民主」と「独裁」に別れた国際的対立は日増しに先鋭化しつつある状況だ。この二つの戦争で、「国際政治」という現象をつくっている世界各国の力学関係は、まるでドミノ倒しのように再編されている。欧州の政界では「戦争の時代が戻ってきた」という声すら上がっている。北欧や東欧諸国が相次いでNATO入りを求めて手を差し出し、福祉の予算まで削って軍備増強に乗り出しているのは、こうした「時代的変化」に対応せねばならないという切迫感があるからだ。欧州の指導者らは歴史書を再びひもとき、自国の次の手をどうするか苦慮している。
戦争の波は海を越えて北東アジアにも押し寄せている。ロシア・中国・イラン・北朝鮮間の密着が、欧州・中東の地政学的危機を韓半島にまで転移させている格好だ。インターネットやソーシャルメディア、移民を手段とする「ハイブリッド戦争」が既に始まった-という懸念も出ている。韓国は果たして、これに合わせた準備ができているだろうか。「同盟に基づいて実利を追求する」というあいまいな方法論や、韓半島とその周辺国に埋没した近視眼的安全保障戦略に活路を求めるのは困難な、あまりにも荒く複雑な時代へと差し掛かりつつある。
パリ=鄭喆煥(チョン・チョルファン)特派員