判決当日は梁元大法院長の誕生日でもあった。梁元大法院長は18年6月、検察捜査が本格化すると、京畿道城南市にある自宅を出て、知人の家に泊まり、門外不出の生活を送った。19年1月に逮捕状が交付され、ソウル拘置所の独房に収監された。同年7月、179日ぶりに保釈で釈放された後は、在宅起訴の状態で裁判を受けた。
20年1月に肺がんが発見され、京畿道城南市の盆唐ソウル大病院で肺の一部を切除する手術も受けた。司法関係者は「高齢なのに長期間検察による捜査を受け、収監されるという状況に直面すれば、誰でも耐えられなかっただろう」と話した。
梁元大法院長の在任中に中心的役割をした裁判官らもこの事件で相当な苦しみを味わった。ソウル中央地裁の林成根元首席部長判事は「裁判介入疑惑」を理由に憲政史上初めて裁判官弾劾審判の対象になった。憲法裁判所は民主党主導による弾劾訴追を21年10月に却下。林元首席部長判事は翌年、大法院で無罪が確定した。
この事件で梁元大法院長より約3カ月前の18年11月に起訴された林鐘憲(イム・ジョンホン)元法院行政処次長は2月5日に一審判決が予定されている。林元次長に対する検察の捜査記録もA4で20万ページ分に上るという。林元次長は裁判初期に狭い拘置所独房で直接記録を見て、意見書を書いた。司法関係者は「梁元大法院長と林元次長は裁判所で会っても目礼で、互いに近況を尋ねることもできなかった。同じ事件で裁判を受けているため、誤解を招くと思ったのだろうが、つらい心境だっただろう」と話した。
ホ・ウク記者、イ・ミンジュン記者