中国の脅威に備えて、NATO(北大西洋条約機構)のアジア版に相当する「インド・太平洋条約機構(IPTO)」創設を提案する。第2次世界大戦後に形成された米ソ冷戦の国際体制において、欧州諸国はNATO結成で強力な軍事大国ソ連の脅威に打ち勝ち、ついにはソ連を崩壊させた。
米国は、1944年6月のアイゼンハワー連合軍司令官のノルマンディー上陸作戦成功でヒトラーのナチス・ドイツを敗北させ、45年8月には米国の原爆で軍国主義日本を降伏させた。だがソ連のスターリンは、全世界に共産主義の影響力を拡大していった。アジアで日本本土の分割占領が失敗するや、韓半島の38度線以北を共産化し、毛沢東の中国共産党は中国大陸を席巻した。ソ連はポーランド・ハンガリー・チェコスロバキア・ユーゴスラビア・ルーマニア・アルバニアそして東ドイツにまで共産勢力を拡大した。スターリンがギリシャとトルコも共産化しようとするや、米国のトルーマン大統領は47年3月、「トルーマン・ドクトリン」を宣布した。米ソ冷戦国際体制が本格化したのだ。これを受けてソ連は、解体したコミンテルン(国際共産党)に代わり、東欧の衛星諸国との間でコミンフォルム(共産党・労働党情報局)を創設した。
米国のジョージ・マーシャル国務長官は47年、欧州諸国に対する経済援助政策を発表した。廃虚と化した欧州諸国の経済復興で共産化を防ごうというのだ。米英ソ仏の4カ国に分割占領されていたドイツは「マーシャル・プラン」を通して経済再建を行うため、米英仏占領地域の通貨をドイツ・マルクに統合した。これに反対するスターリンは、ベルリン封鎖(48年6月-49年5月)を断行した。西ベルリンにアプローチする陸路を遮断することで、200万の西ベルリン市民を完全に孤立させたのだ。第3次世界大戦につながる危機だったが、米空軍の大規模な生活必需品空輸作戦で戦争を未然に防ぎ、西ベルリン市民を飢餓の危機から救った。世界はスターリンの残忍で野蛮な行いに憤激し、ソ連の軍事的脅威を防ぎ得る実質的な集団防衛体制を求めた。米国・カナダ・英国・フランス・西ドイツ・イタリア・ベルギー・オランダなど12カ国が、49年にNATOを創設した。NATOはソ連崩壊後もさらに拡大して今では31カ国になり、加盟を望む国は増え続けている。
日に日に増大する中国共産党の脅威に、世界は不安を抱いている。特にアジア諸国は、中国の軍事的脅威を克服する強力な集団安全保障体制が必要だ。アジア地域にもNATOのような強力な軍事集団機構があるべきだ。少し前に他界したヘンリー・キッシンジャーは、中国を国際的舞台に引き出せばソ連もけん制できて中国も自由民主主義体制に転換するだろう、と期待した。しかし、体制転換は固く拒み、南シナ海と東シナ海に人工島を造って領海だと主張し自由航行を妨害する一方、「中国の夢」を掲げて米国に挑戦している。これに備えるものとして米英豪の安保同盟AUKUSと、米日印豪の安保協議体QUADがあるが、一日も早く統合調整する必要がある。韓米日首脳がインド太平洋条約機構創設を急いでくれることを切に求める。
崔明相(チェ・ミョンサン)元空軍大学総長