深夜3時に避難警報…余震続く中でも秩序を失わない輪島市内の避難所で一晩過ごした 本紙東京支局長ルポ

【能登半島地震現場ルポ】

 この日の夜はずっと雨や雪が降ったりやんだりしていた。雨が屋根を打ち付ける音が体育館の中で大きく鳴り響いた。この日石川県では最低気温がマイナス2度まで下がった。小学校の体育館なので一般住宅ほど風を防ぐことはできず、あちこちからすきま風が吹いてきた。体育館には暖房設備がない上に、天井も高いため手足が冷えてぐっすり寝ることはできなかった。服を重ね着すれば何とか耐えられたが、足先がかなり冷えた。20年前に徴兵で酷寒の訓練を受けた時を思い出した。

 午前5時にトイレに行ったところ、高齢の男性が女性用トイレの前に立っていた。その男性は高齢者を助けるような口調で「終わったら言ってくださいね」と声を掛けると、女性用トイレの中から「うん」という声が聞こえた。気を遣わせないように外に出た。「避難所では運動場の隅で小便をしてもよい」との説明を事前に聞いていた。外に出ると40代くらいの男性が車の中で手をこすっていた。寒さのため車のヒーターで体を温めていたようだ。

 石川県内では地震直後から水や食料はもちろん、ガソリンも足りない状態が続いている。そのため深夜に車のエンジンをかけて寝ることはできない。この40代男性は30分ほどすると体育館に戻った。「災害時に停電になった状況では電気自動車は意味がない」とふと思った。

 電気や通信が途絶えると何もできなくなる。体育館の中には石油ストーブや電気温風機などが4台あった。しかしこの石油ストーブも電気がなければ動かない機種だった。そのため体育館の中には八つの灯油タンクがあったが、どれも無意味だった。日本にはNTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの三つの大手移動通信会社があるが、電波が通っているのはドコモだけでそれ以外は使えなかった。

 朝起きるとアップルウオッチは切れ、アイフォーンはバッテリーが17%しか残っていなかった。電波が届かない場合、スマートフォンは電波を探そうとより多くのバッテリーを使うらしい。しばらくしてスマホを機内モードに変更した。

 朝7時にスピーカーから起床時間を知らせるベルが鳴った。廊下に出ると割れたガラスの破片や壊れた壁などが目に飛び込んできた。震度7の地震は本当に恐ろしいことを実感した。8人の男性たちが朝になるとすぐトイレで使う水をくむため学校のプールに向かった。その場にいた60歳の男性は「プールにはまだ水があるので、断水になってもトイレで水を使えるのは幸いだった」と述べた。朝8時20分に朝食の配給が始まった。おにぎりやインスタントのスープなどだ。自分たちが被災した状況でも、日本人は外からやって来た人間と食事を分け合う優しさを忘れてはいなかった。

石川県輪島市=成好哲(ソン・ホチョル)東京支局長

【写真】本紙東京支局長が撮影した輪島市内の避難所の様子

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  • ▲日本の石川県輪島市に急きょ派遣された成好哲(ソン・ホチョル)東京支局長。成支局長は3日未明に輪島市立門前西小学校の体育館で休んだ。
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