今回の万博誘致合戦は「座布団返しゲーム」と呼ばれた。一部の投票国が韓国とサウジの間で座布団をひっくり返すように頻繁に支持を変えたというわけだ。そのゲームで、韓国がそこそこ善戦していた時期もあった。
しかし、決定まで残り2カ月となった終盤に、サウジは猛反撃を繰り広げた。当時行われていたサウジと各国による首脳会談の日程は次の通りだ。予定になかったサウジ-アフリカ首脳会談、サウジ-太平洋島しょ国首脳会談、サウジ-カリコム(カリブ共同体)首脳会談などが入っている。サウジだけでなく米マイアミでも開催した。これに出席すれば、基本的に1億-3億ドルの投資が保障されたという後日談もある。このとき、座布団は一気に何十枚もひっくり返された。
もちろん、サウジのやり方がフェアプレーだけだったわけではない。投票当日のBIE(博覧会国際事務局)総会で、韓国誘致団の首脳部は総会会場のロビーでBIEの各国代表らに最後のお願いをする予定だった。ところが、どの国の代表にも、あいさつすらできなかった。韓国の首脳部の前に20-30代のサウジ関係者が「人間カーテン」を作り、各国代表が到着するたびに2-3人が護衛のように取り囲んで連れていったのだ。各国代表の到着時間や車のナンバーまで全て把握していたというわけだ。
誘致合戦を通して学んだことももちろん多い。韓国がほとんど関心を向けていなかった市場が目に入ってきた。「日本や中国はアフリカを大々的に掌握していた」「小さな国の中に資源大国がかなりあった」「地域の専門家があまりに不足している」など、企業のトップらは自らの足で飛び回りながら感じたという。
「韓国には強い思いはあったが、リーダーシップが欠けており、戦略は甘く、カネは不足し、実行力は結集せずバラバラのままだった」。ある企業関係者の告白だ。これらの問題点が、再挑戦の出発点になるべきだと考える。次の世代のためにも、壬辰倭乱(じんしんわらん。文禄・慶長の役)後に残された懲毖録(ちょうひろく=壬辰倭乱を記録した資料)のような分析が今こそ必要だ。
イ・インヨル記者