ソウルの声を「メディア」と見なせるかどうかからして論議になり得る。ソウルの声は自らを「懲罰メディア」と呼ぶ。間違ったことを戒めるのが目的だという。しかし、メディアは罰を与える存在ではない。勝手に善悪を決め、恣意(しい)的に選別した悪に懲罰を加えるなら、それはやくざ集団にすぎない。「懲罰メディア」という言葉自体、論理が破綻している。メディアは観察して伝えることが仕事で、懲罰を行ってはならない存在だからだ。
このメディアは物理的懲罰までためらわない。「親日」論争の的となった白善燁(ペク・ソンヨプ)将軍の墓を訪ねて乱暴を働いたかと思えば、目を付けた右派の教授、歴史学者、医師会長などに暴言を浴びせ、胸ぐらをつかむなどして、その動画を撮って報じた。暴行、侮辱などで有罪判決を受けたことも数回ある。昨年初めにはこのメディアの記者が金建希夫人と電話で話した「7時間録音記録」をばらまき、大統領選を揺さぶった。当時密かに会話を録音した記者が今回の取材をセッティングした。同じ記者が違法な取材手法を繰り返したのだ。
このメディアにとどまらない。偏向性で悪名高い別のメディアは尹大統領と韓東勲(ハン・ドンフン)法務部長官らが深夜にパーティーを開いたという「清潭洞酒席疑惑」のフェイクニュースを流しても謝罪さえしていない。韓長官を尾行して自宅に侵入したり、梨泰院雑踏事故の犠牲者名簿を無断公開したりと倫理に反する行為で絶えず論議を呼んだ。天安艦陰謀論の先頭に立った別のメディアは「尹錫悦検事が大庄洞事件をもみ消した」という偽の会話記録を昨年の大統領選3日前に流した。
メディアとして最小限の責任さえ無視する「メディアもどき」の暴走は危険水位を超えた。彼らにも同じように言論の自由を認めることは、暴力団に凶器を握らせるのと同じことだ。今こそはっきり言う必要がある。マスコミであることを主張するが、マスコミとは言えないメディアもどきに対して、韓国社会が明確に一線を画し、彼らに与えた取材特権を取り上げるべきだ。
朴正薫(パク・チョンフン)論説室長