あいにくの雨が降る日
それこそ昔懐かしい喫茶店に座り
トラジウイスキー1杯を供に
濃厚なサックスの音を聞いてみなさい
(崔百浩=チェ・ベクホ=「ロマンについて」)
トラジウイスキーは当初、1950年代に密輸で流通していたサントリーの「トリスウイスキー」の名前をまねて作った韓国の偽ウイスキーだ。釜山国際醸造所で焼酎に色素を加えて作った。商標盗用が問題となり、名前を「トリス」から韓国語でキキョウを意味する「トラジ」に変えた。歌詞に登場するように茶房(タバン)と呼ばれた喫茶店ではトラジウイスキーを入りのウイスキーティーを高く売った。
最近、韓国のウイスキー愛好家の間でジャパニーズウイスキーの人気が高まっている。数カ月前、日本旅行に出かけ、ディスカウントストアの酒類売り場を訪れた。従業員は筆者を見るや否や「響、山崎はありません」と言いながら手を横に振った。韓国人がどれだけ買い求めたらこうなるのだろうかと思った。 チャンスを逃すなという考えだろうか。サントリーは来年4月から「響30年」「山崎25年」の希望小売価格を16万円から36万円へと一挙に125%も引き上げると発表した。
日本の「ウイスキーの父」竹鶴政孝はこんな未来を予想したのだろうか。日本酒の酒蔵の息子がスコットランドで醸造法を学び、サントリーの創業者と手を組み、1929年に初めてジャパニーズウイスキーを披露した。日本の酒好きたちは「炭の匂いがする」とそっぽを向いた。サントリー創業者は竹鶴と決別し、ピートの香りが少ないマイルドなウイスキーを開発した。頑固な竹鶴は北海道に赴き、ピートの香りが強いウイスキーを作り続けた。日本がウイスキー大国になったのは、2人の情熱のおかげだ。
1990年代のバブル崩壊は、日本のウイスキーも直撃した。生産量が急減、2008年には全盛期の20%台に落ちた。悩んだサントリーはウイスキーに炭酸水を混ぜる「ハイボール」を考案し、新しい需要を創出した。シングルモルトウイスキーの「山崎」がが世界的に評価されると、ジャパニーズウイスキーの地位が変わった。需要が急増し、品薄となった。サントリーは限られた原液を山崎とハイボールに集中投入し、「響17年」などの製品は出荷を中断した。
供給不足のため、日本のウイスキー価格が高騰し始めた。600年の歴史を持つスコットランドのシングルモルトウイスキーより、100年しか歴史がない山崎の方が高値となった。良質の原液はすでに売り切れたのか、2015年以降は日本のウイスキーが世界の最高リストに上がっていない。それでも「響21年」は空き瓶が20万ウォンで売れるほど「希少品」扱いを受ける。近いうちに「ジャパンウイスキーバブル」と呼ばれるようになるのではなかろうか。
金洪秀(キム・ホンス)論説委員