■呪いとは2度にわたって墓を掘る行為
呪い(韓国語でチョジュ)を反対に書くと「躊躇(チュジョ)」になる。「殺したいくらいに憎い人がいるから購入したが、いざ商品を受け取ってみると呪いをかけるかどうか迷ってしまいます。怒りが収まったら、自分自身のために祈ろうと思います」。復讐の旅に出る前は、二つの墓を掘れという逸話がある。誰かを傷つけようとするとき、自分もけがをする恐れがあるというわけだ。「本当にここまでしなければならないかと思いながらも、私を苦しめた人間のために注文しました。ところで呪いをかけようと思い立った瞬間から、ずっと体の調子が良くありません」。否定的な気運が全身を支配したためだ。
呪いのわら人形は古今東西を問わず長い歴史を有しているが、常に災いと共にあった。燕山君の母親であるペビ・ユン氏、粛宗の側室であるチャン・ヒビンなどが呪いのわら人形で悪行を行い、死薬(死刑の際に飲ませる薬)を飲まされたと伝えられている。「世宗実録」にも身の毛のよだつような記録が残されている。1424年、いとことの不倫が公になることを恐れ、夫を殺そうとした済州島の女、チャンイ(長伊)。夫の髪の毛と草で巫女(みこ)にわら人形を作らせ、全身にユズのとげを刺し、3日以内に急死するよう書いた呪いのお札まで使って神堂の下に埋めた。夫は数日もしないうちに亡くなったという。しかし結局、犯行は発覚し、チャンイは凌地(りょうち)処死(徐々に痛みを伴う処刑)に処され、共謀者たちも大きな罰を受けた。
チョン・サンヒョク記者