法を尊重し、法治を渇望する国民なら、なおのこと裁判所の不公正な決定を認めることはできない。無条件の服従は奴隷の道徳だ。民主共和国市民の道徳は、判事の不当な判決に対しては冷徹に批判し、強力に抵抗せよと命じている。既に市民社会の法曹家らは刑事訴訟法と大法院(最高裁に相当)例規を根拠に、問題となった決定文の法理的矛盾を細かく指摘し、批判している。
さらに、民主共和国の市民は一歩進んで、憲法と法律に反して裁判官の権力を誤用する判事を弾劾するよう国会を圧迫すべきだ。大統領も閣僚も弾劾する国において、裁判官の弾劾をためらう理由はない。日本の場合、1948年から2022年までの間に2万3719件の裁判官弾劾訴追請求が受理され、これに参加した国民の総数は89万4243人に達する。韓国の裁判所も、弾劾の圧迫を直接肌で感じてこそ、一部のおごった判事による司法壟断(ろうだん、利益を独占すること)を根絶することができる。
過去6年間、特定の政治勢力に掌握された大法院が司法の独立を自ら放棄したという批判は絶えなかった。大法院長は派閥の首長のごとく振る舞い、韓国の裁判官らは偏向した判決を乱発して世論の袋だたきに遭ってきた。過去5年間で裁判遅延の事例は、民事、刑事においてそれぞれ65%、68%も急増した。大統領府や政権与党の人物が関係する裁判は果てしなく引き伸ばされ、とりわけ選挙訴訟は、180日内に速やかに処理せよという法の厳命を最初から無視した。裁判官が政治にのめり込み、裁判をサボタージュした疑いが強い。
裁判所が壊してしまった司法の正義を、今こそ国民が行動によって打ち立てるべきときだ。批判世論の形成、学術的検証、汎(はん)国民的請願、平和的デモ、憲法的抗議など、国民の基本権を行使してできることは多い。司法府が自ら法の精神を損なったり政治の子女になったりするのであれば、国民は立法府を動かして司法府をけん制する、弾劾訴追の正攻法を取ることができる。結局、国民が選挙を通して議会権力の構図を変える道が最も効果的だ。民主主義社会において、法治の究極的主体は裁判官でも、政治家でも、公務員でもなく、まさに一般国民だ。裁判官が国民を恐れるとき、裁判官の支配ではなく法の支配が実現し得る。
宋在倫(ソン・ジェユン)カナダ・マクマスター大学教授(歴史学)