こうした意識構造により韓国社会は、どんな課題であれ、光化門、竜山、そして汝矣島という中央行政・中央政治の舞台にまずは上げることを望む。舞台に上げる方法の中でも、大規模に人員が動員される集会やデモが最も効果的かつはっきりしているので、それを選択する。効率的で問題解決能力を持つと感じられる中央政府、そしてここに影響力を行使している国会を、どういう形であれ当事者にしてこそ、望みのものが得られるというのが韓国の問題解決法なのだ。
もしかすると、こうした姿は韓国人のDNAに深く刻まれている本能的なものなのかもしれない。駐韓米国大使館に7年、外交官として務めたグレゴリー・ヘンダーソンが1968年に出版した『朝鮮の政治社会-朝鮮現代史を比較政治学的に初解明〈渦巻型構造の分析)』で読み解いた韓国の姿は、55年がたった現在も有効だ。ヘンダーソンが描写した韓国は、全ての問題を中央権力を通して解決しようとし、誰もが中央のイシューにしがみつく巨大な渦巻きのような姿だ。村落と王権の間に、制度的機構や自発的結社体などの中間媒体集団が形成されず、皆がソウルの権力を渇望、あるいは批判することに熱中している-というヘンダーソンの分析は、厳しいまでに現実的だ。中央政治に対しては絶えず関心を示すのに、当の自分が住み、生活している地元の政治に対しては関心を持たない矛盾を説明する上で、ヘンダーソンの分析は依然として最も有効だ。
誰もが中央政府と政界を見つめ、肝心の自分自身で解決しようとする意思と能力は次第に弱くなりつつある。政界と中央政府を通していっぺんに予算を引っ張ってきて、制度を変えさせ、組織と人員の配分を受けるのが最も効果的であって、そこでわざわざ自分の力と努力でもって何かをやる必要性を感じられないのだ。政府と政界もまた、何かをやろうと思ったら必ず予算と組織を確保しなければならないという観念にとらわれている。こうした視点で見ると、ニューヨーク・マンハッタンのセントラルパークがニューヨーク市ではなく民間によって構成された管理委員会によって日常的な管理が行われ、全体予算の80%以上を寄付などを通して調達している様子はひたすらなじみがない。韓国人は「自分のことは自分でやる」という自助の精神を失ってしまっているので、米国大統領のテーブルに周期的に載せられる干ばつモニター(US Drought Monitor)の地図が、実は連邦機構ではなくネブラスカ大学がボランティアと機関の協力を通して作っている、ということも容易には理解し難い。
いくら効率的で能力ある政府でも、全てを解決してやることはできない。自らの問題を当事者が解決していこうとする認識の転換が、相次ぐ大規模デモによる不便を最小化する、一番の早道なのだ。
チェ・ジュンヨン法務法人律村専門委員