-あのときは韓国国民はなぜ巻き込まれたのだろうか?
「狂牛病を知っている科学者が特におらず、知っていても市民社会が荒っぽく圧迫するので発言しなかった。福島怪談は、原子力騒動の経験のある科学者らが積極的に乗り出してくれて、防ぐことができた」
■主思派最大のプロジェクト「李承晩殺し」
-FTAと狂牛病問題を経験して、学生運動界に懐疑を抱いたと言ったが。
「FTAが締結されたら米国の植民地に転落するだろうと思った。ひたすら反米が目的の主思派は、相手が米国なら闘争するだけだった。あのころ、サムスン電子の営業利益は日本の半導体企業の営業利益を全て合わせたよりも大きいという報告書を見て衝撃を受けた。サムスンは買弁資本(外国資本に従属する資本家)ではなかった」
-21世紀に韓国が植民地という考えを持っていたというのか?
「疑い始めたのは、1990年代にソテジとRoo’Raが出てきたときからだ(笑)。しかし認めなかった。植民地を否定した瞬間、主思派の存在理由が消えるから」
-『進歩の再構成』という本がそのころ出た。
「自分が20年活動してきた主思派は間違っていたという、最初の宣言だった」
-主思派が間違っていたということを認めるのに、そんなに長い時間がかかったのか?
「自分をはじめとする80年代学生運動家らは、独立運動のように革命を起こすと考えた。われわれが一番好きだった歌が独立軍歌だ。チョ・グクが『竹やり歌』うんぬんと言うのも、そのせいだ。演説もまた、どれほど荘厳かつ悲壮だったか…。『永遠の~』『人間解放』『けりをつけよう』といった感傷的かつ激烈な単語の数々。あのころは革命以外の人生は考えてみたことがなかった」