大韓航空機撃墜事件40年:韓国政府の真相究明外交、ソウル五輪を前に問題提起控える

外交文書で見る韓国政府の対応の変化

大韓航空機撃墜事件40年:韓国政府の真相究明外交、ソウル五輪を前に問題提起控える

 2010年代に入って機密解除された外交文書を見ると、韓国政府が、1983年の大韓航空機(KAL)撃墜事件当時、水面下でどのような立場を保持し、対応していたかを知ることができる。韓国政府は事件当初、真相究明とソ連糾弾のための外交に力を集中した。だが80年代半ば以降、米ソ間で「新デタント(緊張緩和)」の局面が造成され、88年ソウル五輪の成功などを意識して、問題提起を自ら控えていたことが明らかになった。

 KAL機撃墜事件の直後、韓国政府は駐韓米国大使・在韓米軍司令官と接触し、真相究明とソ連糾弾のための外交に乗り出すとした。外務部(当時。省に相当、以下同じ)は83年9月2日、長官名義で糾弾声明を発表し、全ての在外公館に対し国際的糾弾世論の形成に乗り出すべきことを指示した。「駐在国政府がソ連大使を呼んで事実究明を要請するよう交渉せよ」とし「ソ連外交官との個別接触を止揚し、ソ連の招請に応じてはならない」という指針まで下した。その後、国連安保理のような国際機構でも同様の努力が傾けられた。

 だが翌84年5月、事件から1年もたたずして、こうした指示は無効になった。「18年ぶりに行われた金日成(キム・イルソン)のソ連訪問で朝ソ関係が強化される兆しが見られるなど、情勢が変わり、ソ連が短期間のうちに責任を認めて賠償要求に応じるのは現実的に難しい」というのが理由だった。84年6月には、非政治分野の交流については個別の事案ごとに判断して慎重に対処することとした。その後、韓国国民8人が世界地質図委員会(CGMW)の国際行事出席のためソ連を訪問したこともあった。

 ソウル・オリンピックを控えた86年には「被害賠償を要求する原則は維持するが、政治問題化は避ける」という方針を立てた。当時作成された文献を見ると、(1)事件の「政治問題化」を止揚し(2)政府レベルの声明書を発表せず(3)民間レベルの追悼式に関与しない-となっている。「80年代中盤に韓国が北方外交を展開し、次いでロシアと国交を樹立する中で、真相究明がおろそかになった」という遺族の問題意識はある程度事実であると確認できる内容だ。安全企画部(当時。現在の国家情報院)の当局者は、外務部との電話で「KAL機事件はオリンピック成功と直結しており、今回の事件を大きく取り上げたらソ連などのオリンピック参加問題が萎縮するだろう」とし「メディアなどでもなるべく小規模に扱うのがよい」と述べた。

金隠仲(キム・ウンジュン)記者

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