1972年、長野県・軽井沢の浅間山荘で日本の極左組織・連合赤軍の一味が山荘管理人夫婦を人質に取り、警察と対峙(たいじ)した。テレビでは、この「浅間山荘事件」を連日生中継した。この生中継で、重武装の機動隊員たちがカップラーメンで食事を済ます場面が頻繁にカメラにとらえられた。インスタントラーメンを発明した日本企業の日清食品が世界で初めて開発した「カップヌードル」だった。高価格でそっぽを向かれていたカップ麺(めん)がこの事件以降、飛ぶように売れ始めた。
【写真】日清食品「ポックンミョン濃い濃い韓国風甘辛カルボ」と韓国・三養食品「ブルダック炒め麺」
韓国の食品メーカー・三養食品が1973年、日本のカップヌードルをまねて「カップラーメン」を発売したが、なじみがなく値段も高かったため、すぐに市場から消えた。1981年に別の食品メーカー・農心が「サバル(丼)」の形をした「サバル麺」を発売した。テーブルに置いて食べられる丼の形が消費者の関心を集めた。1988年のソウル五輪がサバル麺のPRに一役買った。カメラが観客席を写すと、外国人がサバル麺をおいしそうに食べている様子がクローズアップされた。そして、世界各国からサバル麺の注文が殺到した。
韓国のカップラーメンの進化は続いた。食品メーカー・Paldo(八道)が1986年、世界で初めて四角形のカップラーメン「ドシラク(弁当の意)」を発売した。お湯を注ぐ時に安全で、携帯も便利になった。これが、釜山港に立ち寄ったロシア船員たちの舌をとりこにした。韓国とロシアを行き来する人々がロシアに持ち込み、全域に広がった。30年間で44億個以上売れ、ロシアの「国民食」として定着した。
韓国のカップラーメンの元祖とも言える農心「ユッケジャン・サバル麺」は発売後41年間で52億個売れ、今も年間2億個以上売れている。袋麺の売上は横ばいだが、カップラーメンは毎年20-30%ずつという高速成長を遂げている。単身世帯の急増や、コンビニで簡単に食事を済ませる10-20代に人気があるからだ。かつては袋麺が先に発売され、その後にカップ麺が発売されたが、最近は順番が入れ替わってカップ麺を先に発売する傾向にある。
2012年に発売された三養食品の「ブルダック炒め麺」は、外国人が韓国の辛いインスタントラーメンに挑戦する「ファイヤー・ヌードル・チャレンジ」を世界的な文化イベントにした。関連のユーチューブ動画だけで100万本以上アップロードされている。ブルダック炒め麺はチャパグリ(チャパゲティ+ノグリという2種類のインスタント麺を合わせたレシピ)のように、消費者が既存の製品をアレンジして、世の中にまだない製品を作る「モディシューマー(modify+consumer)」ブームを巻き起こした。チーズ・チャジャン・カレー・キムチ・焼きそばのブルダック炒め麺シリーズとして続き、40億個以上が販売された。インスタントラーメンの元祖・日清食品が韓国のブルダック炒め麺をまねした「焼そばポックンミョン」を発売した。パッケージにはハングルで「ポックンミョン」と書かれ、「コチュジャンの風味、チーズのまろやかなコク」と宣伝している。「Kラーメン」の絶え間ない革新が成し遂げた逆転劇だと言えよう。
金洪秀(キム・ホンス)論説委員