先の土曜日、ソウルの南大門付近で「ろうそく集会」が開かれた。昼間の最高気温すら0度を下回る寒さにもかかわらず、数百人が参加して手をたたいて歌を歌い、スローガンを叫んだ。まるで宗教の集会か祭典の現場のようだった。毎週繰り返されるイベントだからなのか、メディアではあまり報じられないが、イベントの主催である「ろうそく行動」のフェイスブックのコンテンツには生々しい現場の雰囲気が捉えられている。イベントはもう24週にわたって開かれていた。
【写真】第11次金建希特検・尹錫悦退陣ろうそく大行進(2022年10月)
彼らの集会には造形物や象徴物が欠かせない。参加者らは、ある日はサイズが2メートル近くある尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の造形物を引っ張り出し、ある日は膝を屈した尹大統領の像の額にお札をべたべたと貼ったりもした。顔を大きく描いて「背倫尹錫悦」と記した、往復10車線の道路をふさぐほど大きい掛け図を広げておいて、ずたずたに引き裂くイベントをやった日もある。
こうした様子は6年前を思い起こさせる。朴槿恵(パク・クンへ)政権末期の光化門でも、連日ろうそく集会が開かれた。そのときも、朴大統領の姿を模した造形物が必ず登場し、鶏卵を投げ付け、顔に落書きしてあざけるということが繰り返された。偶発的に起きたことではなかった。誰かが準備したイベントだった。「あのころ、あの人々」が、今また同じようなことをやっている兆候が見られる。例えば1月9日、国会で尹大統領の裸体画の展示会を開こうとした団体のメンバーの相当数は、かつて朴槿恵大統領のヌード風刺画「ドロウン・ジャム」などを国会に展示した「すぐに、BYE!展 作家連帯」のメンバーと重なるという。
辺りが暗くなるころにろうそくをともし、造形物が登場し、周期的に繰り返されるという点で、ろうそく集会は祭儀に類する性格を有している。ドイツのナチスが重視していたニュルンベルク全党大会のハイライトも、暗がりの中で行われるろうそく行進だった。祭儀的行為を通して、群衆は互いを模倣し、一体感を持つようになる。そうして自分たちだけの物語を作っていく。20世紀初頭のファシズムを研究している学者らは、繰り返される集会と象徴、行進などを通して大衆が自らを崇拝する「政治宗教」が登場した、とみている。ろうそく集会も、23回、24回…こうして回数を重ねる中で、物語を作っていっている。その点で、時折開かれる、いわゆる太極旗集会とは全く性格が異なる。
あらゆる祭儀には「犠牲の羊」が必要だ。朴槿恵政権時代においてそれは、セウォル号に乗って修学旅行に行き、命を落とした高校生たちだった。現政権では、ハロウィーンの祝祭で命を落とした若者たちが絶えず召喚されるだろう。死であれば誰でも召喚されるわけではない。「ろうそく」は死を差別する。例えば文在寅(ムン・ジェイン)政権時代の堤川スポーツセンター火災や光州鶴洞ビル崩壊事故の死者が、犠牲者として呼名されることはあり得ない。これは、「ろうそく」祭儀を開く司祭たち固有の権限だ。
今のろうそく集会で、かつての弾劾政局のころに出現した集会の様子が再現されているのを見ると、第2次大戦が終わった後、太平洋の島しょ地域の原住民に見られた「貨物崇拝(Cargo Cult)」が連想される。戦争が終わった後、人類学者らが島を訪れたとき、原住民らが滑走路の横に格納庫や管制塔を模した小屋を建て、木で作ったヘッドセット風の器具を身に着けて、空に向かって手を振る様子がひんぱんに見られた。そうすれば飛行機が現れて品物がぎっしり入った箱を落としてくれると信じる、原始的な心理に由来する儀式だ。原住民らは外見のみをまねただけで、因果関係を理解していなかった。
ろうそく集会も、ある人々は、単に「一生懸命やれば大統領が弾劾されたり退陣したりするだろう」と信じてやっているのかもしれない。薄暗い中でろうそくを持ち、笑ったり踊ったりしている参加者らを撮った写真を見ると、その高揚した表情からは呪術的熱気すら感じられる。雨が降るまで終わらない雨乞いのように、このろうそく集会は現政権が終わるまで続くだろう。大統領であれ誰であれ、市民が宗教の自由を享受することを妨げる方法もない。
シン・ドンフン記者