今年6月に大韓聖公会ソウル主教座聖堂で開かれた6・10民主抗争記念式典で、5・18光州民主化運動の犠牲者・尹祥源(ユン・サンウォン)烈士、1986年の「前方入所反対デモ」中に焼身自殺した大学生のキム・セジン、イ・ジェホなど、民主化有功者15人が「国民勲章牡丹(ぼたん)章」を授与された。86世代(1980年代に大学へ通った60年代生まれ)の運動圏(学生運動関係者)が主軸となっていた韓国の前政権ではなく、前政権から「既得権・腐敗勢力」と言われてきた保守派の現政権が、1980年代の運動圏の象徴的存在に追叙を行ったというのが皮肉だ。勲章証(勲記に相当)には「大統領尹錫悦(ユン・ソンニョル)」と大書してあった。だからなのか、一部の新聞は「前政権が審査して(現政権は)伝達しただけ」とことさら強調した。「民主主義発展有功者」に対する褒章は2020年に始まった。誰が決めたにせよ、現政権では定められたことをやるのだ。
文在寅(ムン・ジェイン)政権が目を背けていた人民革命党再建委員事件の被害者らに対する「負債責め」も、現政権の韓東勲(ハン・ドンフン)長官率いる法務部(省に相当。以下同じ)が解決した。国の手違いで超過支給された5億ウォン(現在のレートで約5200万円。以下同じ)を、被害者側は何年も返済できず、利子が雪だるまのように膨れ上がった。返済すべき金額は15億ウォン(約1億5700万円)にもなっていたが、前政権は「利子の棒引き」を決めた裁判所の勧告を受け入れなかった。受け入れ決定は、今の法相が就任した直後に出た。韓法相は、ぐずぐずしていた前任者らと違って電撃的に公的決定を下した。
1960-70年代のスパイでっち上げ事件被害者らの涙を拭ってやり、80年代の烈士たちを追悼することは「運動圏政権」だけの専有物ではない。時代は変わった。政権関係者が5・18記念行事で「あなたのための行進曲」を歌い、警察を所管する行政安全部が6・10記念式典を主催する。80年代民主化運動が公式な歴史として受け入れられている。
こうした変化に適応できていないのは、運動圏の側だ。一部の政治家は依然として「あの時代」の慣性に影響されている。全大協(全国大学生代表者協議会)第1期議長を務めた李仁栄(イ・インヨン)元統一部長官は最近、フェイスブックにアップした大統領選の敗因分析で「共に力を合わせてニセの民主主義、守旧冷戦、新自由主義に打ち勝とう」と書いた。彼はことさらに「同志的徳性」「高潔な道徳性」「純潔な思想」を強調した。運動圏特有の「われわれは清く、残りの世は堕落した」という認識には、未成熟さすら垣間見えた。前政権の人々に「よくもあえて、文在寅政権は積弊だと言うのか」(イ・ヘチャン)、「任命された権力が何者も恐れず、よくも横柄に…」(李在明〈イ・ジェミョン〉)、「あえて金大中(キム・デジュン)精神を口にするなんて」(秋美愛〈チュ・ミエ〉)などといった言動が多いのには、それなりの理由があったのだ。
専門家らの間からは、前政権は「行政府と立法府を全て掌握しても.『保守勢力に包囲されて何もできない』と訴え、不動産価格の暴騰は『政策の失敗ではなく資本の陰謀』と主張する」、いわゆる「包囲された要塞(ようさい)シンドローム」(イム・ジヒョン『私たちの中のファシズム、その後20年』)に陥っていた-という分析が出てきている。政権を自分たちの陣地のように考え、もっぱら「闘争」の観点から世の中を見ていたのだ。これは、.自分たちの「能力のなさ」を隠すと同時に、「目覚めている市民」をそそのかして相手を攻撃し、これを通して自分たちの政治的資産を守る行為だった。5年間ずっとこれで、国がきちんと回るはずがない。
1980年代の民主化運動は「青年学生」だけでなく、毎朝起きて黙々と仕事に出かけた「大人たち」がいたから可能だった。今回の叙勲や人民革命党被害者救済決定を見ていると、政権に関係なく国がやるべき仕事は連続性を持って、誰かが黙々とやっていかねばならない、ということにあらためて気付かされる。運動圏が主軸の政党は、戦いの場である国会に戻った。運動圏とは違う「実力」を見せてやることが、現政権の勝敗を決めるだろう。
シン・ドンフン記者