6・25戦争停戦協定締結69周年を数日後に控えた23日、京畿道坡州市の臨津閣にあるトルーマン元米国大統領の銅像を訪れた記者は戸惑ってしまった。臨津閣周辺のどこにも銅像の案内などは設置されていなかった。あちこちに「臨津閣平和ヌリ案内図」と書かれた大型の立て看板はあったが、そこにはトルーマンの銅像はもちろん米軍参戦碑の案内もなかった。
10分かけて周辺を探しやっとトルーマンの銅像を見つけたが、その最初の瞬間に大きく失望した。今年死去から50年となるトルーマンの銅像はずいぶん前から変色が進んだようでかなり傷んでいた。左膝の内側には10センチほど塗装が剥れているのが見えた。両手と両足の間には大きなクモの巣があった。腰や脚もクモの巣だらけだった。北朝鮮の故・金日成(キム・イルソン)主席が1950年6月25日に南浸して始まった6・25戦争の際、トルーマンは開戦と同時に参戦を決めた功績で1975年に銅像が建てられた。しかしその現状は韓国にある唯一の米国大統領の銅像とは信じられないものだった。
【写真】臨津閣にあるトルーマン元大統領の銅像にかかったクモの巣
銅像の後ろにある米軍参戦記念碑も同じような状況だった。周辺には雑草が生い茂り、あちこちにコケも生えていたので滑らないように注意が必要だった。ベンチはひどく汚れており、到底座れるものではなかった。少なくとも数十年は何の管理も整備も行われていないのだろう。3万人以上が犠牲になった米軍兵士たちと参戦を決めたトルーマンは韓国では忘れられた人物だと伝えているようだった。臨津閣平和ヌリ公園は平和を強調するが、その平和を築くため犠牲になった米軍の戦死者たちは記憶したくないようだった。
高麗大学の姜声鶴(カン・ソンハク)名誉教授は先日出版した著書「ハリー・S・トルーマン-平凡な人間の非凡なリーダーシップ」の中で韓国のこのような雰囲気を伝えている。姜教授は6・25への参戦を決めたトルーマンについて「米国の歴代大統領の中で韓国人の運命に最も直接的な影響を及ぼした人物」と評し、「大韓民国のゴッドファーザー」と呼んだ。しかしその一方で「韓国人にはほぼ全面的に忘れられ、学問的には関心の対象にさえならないのは非常に残念なこと」とも指摘した。
姜教授の分析は韓国政府における歴代の外交・安全保障政策の主な責任者たちの見方とも共通している。6・25戦争が起こった当時、韓国空軍参謀総長だった故・金貞烈(キム・ジョンリョル)元首相は生前「米軍の参戦は事実上、奇跡のような出来事だった」と回想している。韓国人が当然と考える米軍参戦の決定は実は当然のことではなかったのだ。 孔魯明(コン・ノミョン)元韓国外交部(省に相当)長官も自叙伝で「6月25日夜に米国指導部の満場一致で決まり、迅速に派兵されたことを私は天佑(てんゆう)神助と表現したい」と書いている。
米国の支援で世界10位圏の国に発展した韓国では6・25当時の米国の活動は忘れられているが、米国の雰囲気は違う。今月27日に韓国戦争参戦記念公園で6・25戦死者たちの名前が刻まれた追悼の壁の除幕式が行われる。ワシントンの名物となったベトナム戦争参戦記念碑と同じく、米軍兵士とカチューシャ(在韓米軍に配属された韓国軍部隊)の戦死者の名前が刻まれた造形物が設置されるという。米国のバイデン大統領はこの行事への出席を公表した直後にコロナに感染したが、治療を受けて陰性になれば除幕式に出席し演説を行う予定だ。
英国のチャーチル首相は1952年の6・25戦争中にトルーマンと会談した際、米軍の派兵を高く評価し「西欧文明を救った」と絶賛した。チャーチルのこの言葉は誇張かもしれないが、トルーマンの決断が大韓民国を救ったのは明らかな事実だ。そのトルーマンの銅像をクモの遊び場とし、米軍参戦碑をコケの中に放置しながら韓米同盟の発展を望むのは言語道断ではないのか。
李河遠(イ・ハウォン)記者