日本はもはや韓国のロールモデルではない。20年前に記者が韓国へ戻った当時、日本の国民1人当たりのGDP(国内総生産)は韓国の3倍だった。今ではほぼ同水準だ。20年の間に韓国人の所得は3倍に増えたが、日本は足踏みしていた。およそ100年かけて蓄積した日本の知的・物的資産と科学技術力は依然として強力で、日本が重要な国であることに変わりはない。しかし、かつてのように圧倒的ではない。
サムスンのギャラクシーが世界市場を席巻している間、日本はろくなスマートフォンブランドすら作れない国になった。トヨタのハイブリッドカーや拡張現実(AR)ゲーム「ポケモンGO」以降、世界をとりこにする日本発のイノベーションは出現していない。黒沢明を生み出した日本映画は『イカゲーム』に代表されるKコンテンツに押され、日本の漫画は韓国のウェブトゥーンに、任天堂のゲーム機は韓国型オンラインゲームに、JポップはKポップに膝を屈した。先進的だった日本式のシステムは、コロナ・パンデミックによって虚像と判明した。確定患者数の集計をはじめとする全ての行政手続きを時代遅れのファクスに依存する日本の後進性が、世界の人々を驚かせた。
韓日の警護力を比較するコメントがソーシャルメディア(会員制交流サイト)で話題になっている。今年3月、朴槿恵(パク・クンへ)元大統領に焼酎の瓶が投げ付けられたとき、韓国の警護員らは完璧に対応してさらなるテロを防いだ。安倍元首相の場合、最初の銃声から3秒の時間があったにもかかわらず警護に失敗し、2発目の銃弾で致命傷を許した。日本が誇ってきたマニュアル対応がきちんと動かなかった。安全面でも、日本は平凡な国になりつつある。
日本は、軍事的・安全保障的にも特殊な国だった。トップクラスの軍事力を保有していたが、平和憲法により自衛隊は「軍隊」ではない存在と見なされてきた。自民党の実力者・小沢一郎(当時)が「普通の国論」を主張したのが1990年代初めのことだった。他の普通の国のように安全保障上の束縛から抜け出そうという日本の保守派の念願は、改憲勢力が衆参両院で議席の3分の2を確保したことにより視界に入ってきた。日本が憲法を改めて「戦争できる国」になるのは時間の問題だろう。
韓国人は、軍事的にも経済的にも、安全システム面でも特別ではない「普通の国」日本と向き合うことになった。沈滞に直面している国は内向的になり、排他性を帯びやすい。日本で湧き上がる嫌韓感情も、韓国に追い付かれたという集団憂鬱症の噴出にほかならない。韓日関係を解きほぐしていく上で、韓国側がもう少し主導的なリーダーシップを発揮しなければならない。国力の低下でデリケートになっている日本を抱き寄せ、韓国が先に立って引っ張っていく、大きな絵の戦略外交が必要だ。
朴正薫(パク・チョンフン)論説委員