「どうやって」という質問を投げかけながら勉強しなければ優等生になれないそうだ。ドイツは硫黄が多量に含まれている鉄鉱石から「どうやって」硫黄を取り除くかという問題を解決して英国を追い越し、日本はチップを「どうやって」積み上げれば性能を高められるかという問題を解決して半導体技術の発祥地・米国を追い越した。韓国もやはり外国製の源泉技術に「どうやって」という質問をぶつけ、半導体・自動車・電気バッテリー産業を主力産業に育てた。
優等生を作る「どうやって」勉強法の限界は源泉技術を生み出せないということだ。源泉技術は「なぜ」という問いから誕生する。「どうやって」は投げかけられた問題を解く能力を、「なぜ」は隠された問題を見つける能力を育てる。しかし「なぜ」と問う勉強法は成功率が低い。創造的な天才が誕生する確率は低く、ほとんどが異端児または落第生として不運な日々を過ごす。「ソウル大学ではどんな学生が成績表でA+評定をもらうのか」という研究によると、ソウル大学は「どうやって」勉強法の工場だそうだ。そのように育てられた優等生たちが韓国をこれだけ成功した国にした。これが限界だろう。
「どうやって」という質問と「なぜ」という質問の違いは、個人の選択である前に社会的慣性といえる。だから「どうやって」から「なぜ」に移行するのは難しい。日本は1990年代以降「どうやって」から「なぜ」に変ぼうを遂げようと何度も試みたが、何度も挫折した。今の日本がぶつかっている壁の一つだ。ドイツは近代化初期から「なぜ」と「どうやって」を併存配合してきた。「なぜ」は19世紀から20世紀初めのドイツにおいて、数学・物理学・化学など自然科学・工学・人文社会科学分野で数多くの天才たちを生み育てた母親だ。
韓国は辺境から世界の中心に入って間もない。辺境は荒々しくて無謀だ。しかし、世界の秩序を変えた政治勢力も荒々しい地域で身を起こし、科学の大転換も同様に主流の理論の枠外で無謀にも挑戦した少数理論から芽生えた。想像力も同じだ。韓国映画は辺境で長年にわたり育てた年輪の力をカンヌ国際映画祭で見せた。辺境の悲しみを跳躍への踏み台に変えてみよう。