【コラム】韓国と日本の拉致被害者記憶法

 米日首脳会談のため日本を訪問した米国のバイデン大統領は忙しい日程の中、23日に東京都内の迎賓館で日本の拉致被害者家族会と面会し慰労した。バイデン大統領は膝を突いた姿勢で日本人拉致被害者のシンボルとも言える横田めぐみさん(拉致当時13歳)の母親、早紀江さんら家族たちに「(子供を失った)あなたのつらさは私も理解している」と述べた。さらに「北朝鮮に対して日本人拉致被害者12人について完全な説明を求める」とも約束した。

 出席した家族と日本の政治家たちは胸に青いリボンを着けていた。青いリボンは日本人拉致被害者と家族を切り裂いた東海、そして彼らをつなぐ青い空を意味するもので、被害者たちが家族の元に帰ってほしいという願いが込められている。岸田文雄・首相をはじめとする日本の政治家たちも胸には必ず常にこの青いリボンを着けている。

 ところでバイデン大統領は知っていただろうか。めぐみさんの夫が1978年に全羅北道群山の仙遊島海水浴場で北朝鮮工作員に拉致された高校生のキム・ヨンナムさん(当時17歳)だった事実を。そしてその前後に北朝鮮に拉致された韓国人が516人で、日本人拉致被害者の40倍以上だった事実も知っていただろうか。被害当事国の韓国が沈黙しているので、特に関心がなかったのだろう。

 1977年に全羅南道の紅島で修学旅行中に北朝鮮工作員に拉致されたイ・ミンギョさん(拉致当時18歳)の母親、キム・テオクさん(90)は26日、記者の電話取材に「米国の大統領まで自ら支援しているめぐみさんの母親がうらやましい」「息子を返してほしいのではない。平壌にいるらしいので、ただ死ぬ前に顔だけでも一度見て、声だけでも一度聞かせてほしい」と述べた。北朝鮮消息筋や北朝鮮当局が作成した平壌市民に関する資料などによると、イ・ミンギョさんは平壌に住み対南工作事業に従事してきたことが分かっている。

 母親のキムさんは2019年にも拉致被害者の生死確認を求める陳情書と当時の文在寅(ムン・ジェイン)大統領宛ての手紙を青瓦台(旧韓国大統領府)に送った。キムさんは手紙で「修学旅行に送ったこの母親の罪です。ですから北朝鮮に拉致されたのも母親の罪」「死ぬ前に息子の顔を一度見させてほしい」と訴えた。しかしキムさんには韓国政府から何の返事もなく、慰労の言葉も聞けなかった。

 韓国でも2000年代には1000人以上の戦後拉致被害者や韓国軍捕虜の帰還を願う「黄色いリボン」運動が広がっていた。しかし政治家の中にこのリボンを着ける人物はいなかった。拉致被害者と韓国軍捕虜は南北関係改善の障害とされ、いつしか忘れ去られた。その間に高齢となった被害者とその家族は徐々にこの世を去っている。

 「元気だった子供を失った罪深い母親に何の楽しみがあるでしょう。ただ生きている私の子供の顔を一度だけ、一度だけ見てから逝かせてほしい」と90歳を超えた老母は40年にわたりこだまの帰ってこない叫びを繰り返している。

アン・ジュンホ記者

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