5・18民主化運動(光州事件)がピークに達していた1980年5月20日夜の全羅南道庁(現光州広域市5・18民主広場)前。デモ隊の道庁進入を阻止するため、陣形を組んで立っていた警察官数十人に向かってバス1台が突進した。「避けろ!」という声に大半の警察官は四方に散ったが、バスを避けられなかった警察官4人がひかれて死亡した。当時バスを運転していたBさん(77)はその後、バスから降りて逃げた。
死亡した警察官の遺族は40年以上も大声で泣くことができなかったという。軍・警察による流血鎮圧で死亡、負傷した被害者は多かったが、彼らも5・18の被害者だった。ただ、息子とその家族の相当数はずっと加害者に分類され、息を潜めて暮らさなければならなかった。民主化運動に参加した民間人の被害については、真相究明と賠償が進んだが、上部の指示で鎮圧に加わった軍と警察が受けた被害は相対的にないがしろにされてきた。Bさんは事件直後に逮捕され死刑が確定したが、2年余り服役後に特別赦免を受け、5・18民主有功者認定も受けた。
ソウル市銅雀区の国立顕忠院で19日、当時死亡した警察官の遺族はバスを運転していたBさんから謝罪を受けた。42年後のことだった。遺族らは「我々の父の死も5月の英霊と同じ犠牲であり、死であり、悲しみだったと言ってもらいたい」と述べた。Bさんは頭を下げて謝罪し、遺族はBさんに「許す」と言った。
調査委員会は「5・18民主化運動当時の軍人と警察の被害事実に関する調査を今後も継続する予定だ。遺族の苦しみを十分に認識しており、困難だった遺族の生活についても、追加調査を通じ、彼らの要求事項を国に進言していく」と説明した。
カン・ダウン記者、パク・チョンフン記者