1994年に「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」へ加入し、北朝鮮に家族を送った人々の話を聞いた。豊かでない状況でも北の家族に日本製のセイコーの時計や小遣いを送ろうと苦労している人がほとんどだった。こうした人々を支援していると、99年には在日朝鮮人脱北者から「北朝鮮に残る家族の脱北を助けてほしい」という要請を受け始めた。自ら中国へ向かい、帰国事業被害者の子どもたちを日本へ脱出させる手伝いをした。しかし2003年、中国公安当局に捕まって上海の政治犯収容施設に2週間以上監禁されたこともあった。06年には北朝鮮自ら、山田元教授を「企画脱北犯罪者」として逮捕するとも発表した。山田元教授は「中国や北朝鮮の脅しが怖かったことはない」と述べつつも「その後、中国には行けなかった」と語った。その代わり、日本で脱北者の就職をあっせんし、生活の安定を支援した。妻が経営する個人病院でも、現在3人の脱北者を雇っている。
山田元教授は、北朝鮮政権を相手取った今回の裁判で中心的役割を果たした。1960年に北朝鮮へ渡った後、43年ぶりに日本へ戻ってきた在日朝鮮人の川崎栄子さん(79)から「法的責任を問いたい」という話を聞いた山田元教授は、同じような立場の被害脱北者4人を集めて原告団を結成した。かつて在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)を相手取った訴訟が公訴時効満了により棄却された経験に基づき、今度は北朝鮮の政権に責任を問う戦略を立てた。北朝鮮政権が在日朝鮮人の日本帰国を禁じたことまで「誘拐犯罪」と認められれば、公訴時効もさらに伸びるからだ。
裁判の目的は、単純な損害賠償ではない。北朝鮮と日本の「責任」を認めてもらうことだ。「帰国事業の被害者にはいつも『本人が好きで行った』という自己責任論がつきまとうけれども、帰国事業を宣伝し、支援した全ての人には、少なくとも道義的な責任があります。今回の裁判で北朝鮮の人権じゅうりん行為をあらためて世に知らせ、責任ある人々の反省を要求したい」