チョン教授は韓屋の建築家ではない。だからこそ「韓屋の専門家ではないので新しい試みに抵抗がなかったのだろう」と語る。例えば以前からあった大雄殿の壁を撤去し、柱の間を鉄で補強したのは通常の韓屋からは簡単に下せない決断だった。このように開かれた空間となった大雄殿内部は真っすぐな箱形のガラス構造物となった。2階に相当するこの「ガラスの箱」は柱よりも少し内側に設置されている。「ぎっしり満たすのではなく、余裕を持たせる韓屋の空間感覚を応用しました。文化財というよりも今の時代に新たに建てた韓屋なので、形よりも空間という側面からアプローチすべきと考えました」。
ただし軒の曲線はデザインの重要な鍵となる。チョン教授は「軒は建物をすっきりさせるし、形態も美しい。その曲線美はまねをして出せるものではない」「屋根の軒と(現代式構造物と)のギャップから来る効果を期待した」と語る。
土地が持つ歴史とのつながりも緻密に考慮されている。女談斎のすぐ横にある亀岩は端宗の王妃だった定順王后にゆかりがある。「『端宗が亀に乗って昇天した』という夢を見た王后がここに来ると、その場所に岩があった」という伝説が古くからこの地に伝えられてきた。朝鮮王朝時代に生きた女性のエピソードが残るこの地に女性の文化空間を建設するということで、チョン教授は図書室に亀の甲羅を連想させる書架を自らデザインした。亀岩の近くに、「屋根流説」を残したイ・スグァン(1563-1628)が起居した庇雨当も復元されている。わらぶき家屋と女談斎は視覚的に自然につながる。女談斎はマンションに囲まれた韓屋ではあるが、何かポツンと浮いたようには感じられず、ある意味この地で行われてきた建築の自然な帰結のようにも感じられた。