ここの土壌からは1グラム当たり1万8200個という多数の寄生虫の卵と、キュウリ・ナス・エゴマの種が検出された。同研究所のヤン・スクチャ研究官は「19世紀末の『景福宮配置図』や1904年の『宮闕(けつ)志』などを通して、この遺跡がトイレであることを確認した」と語った。1868年に景福宮を修復した際に作られたもので、およそ20年間使用され、全体で75.5間あった景福宮のトイレの中で4-5間ほどの規模だったとみられる。溝の上には瓦屋根の建物があり、一度に最大10人、1日におよそ150人が利用できた。
特異な点は、微生物を利用する現代式の浄化槽と似た浄化施設がこのトイレに存在していたという部分だ。水が流れ込む入水口を、水が流れ出る出水口より低く作り、流入する水が排せつ物と混じり合って急速に発酵する仕組みになっている。残滓(ざんし)は底に沈み、分離された汚水は高い位置にある出水口を通って宮殿の外に排出される構造だ。発酵した排せつ物は悪臭や毒素が減り、肥料として利用できた。
イ・ジャンフン韓国生活悪臭研究所長は「こうした方式の排せつ物浄化施設は当時世界でも例がなかった」とし「欧州や日本は19世紀末にようやく生活下水処理施設が定着した」と説明した。意外にも、「19世紀中盤の独自の朝鮮トイレ浄化施設の優秀性」が確認されたわけだ。