また、現在の野党勢力を「親日独裁売国勢力」だとも主張した。李知事は当時、「李承晩、朴正熙、全斗煥、盧泰愚(ノ・テウ)、李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クンヘ)とつながる親日独裁、売国虐殺勢力がこの国の多くの国民を苦しめている」と発言した。
李知事は今年の3・1節の式辞で、大韓民国の建国について、「最初のボタンをかけ間違えた」と述べた。李知事は「解放直後にも既得権を維持していた親日勢力の反発で我々は親日の残滓(ざんし)清算の機会を失ってしまった」とした上で、「最初のボタンをかけ間違えたからといって、それを放置しておく愚を犯してはならない」と主張した。親日勢力が米占領軍と合作し、大韓民国政府を樹立したという最近の発言と一脈通じる内容だ。
しかし、大韓民国の初代政権の立法、司法、行政のトップはいずれも大韓民国臨時政府の要員や独立運動家出身者だった。李承晩大統領は臨時政府の初代大統領であったし、金炳魯(キム・ビョンロ)初代大法院長は抗日民族団体「新幹会」中央執行委員長を務めた人物だ。申翼煕(シン・イクヒ)国会議長も臨時政府で内務総長を務めた。「ウナム李承晩評伝」(ウナムは号)の著者、イ・テクソン博士は李知事の歴史認識について、「1980年代の大学街で流行した『解放戦後史の認識』であり、(李承晩元大統領が独立運動家だという)歴史的事実関係を変えてしまった」と指摘した。