「世界的かつ伝統的な建築」…プリツカー賞8人を生んだ日本の成功戦略

 韓国でも解放後の国家アイデンティティーを建築で表現するという課題はあったが、成功したものではなかった。「李承晩(イ・スンマン)政権が南山に国会議事堂を建てようとした計画が、クーデターで朴正煕(パク・チョンヒ)政権になって廃棄されました。国会議事堂は、かなり時間が経過してから汝矣島に入りました。政治的不安、深刻な左右対立などにより、容易ではなかったようです」

 建築は、再び保守化するこんにちの日本社会の断面を示してもいる。東京オリンピックのメインスタジアムの設計を巡る問題が代表的なケースだ。最初の設計者だったザハ・ハディドの計画は「あまりに工事費がかかる」という理由で廃棄され、再び行われた国際コンペは、作品を日本語でのみ提出させるなどの条件で論争になった。最終的に、木材を使用して日本の美を強調した隈研吾が起用された。チョ教授は「日本が最近になって極右化し、再び『日本主義』が復活する過程と合わさったものと思う」と語った。

 日本は、世界が直面している問題を少し先行して経験したという点でも「鏡」になり得る。チョ教授は「日本では自然災害、高齢化、人口減少、低成長といった問題へ建築的にどのように対応するか、1990年代から議論が始まった」とし「今の韓国でも進行している諸問題であって、韓国の建築家らにも参照点になり得るだろう」と語った。

チェ・ミンギ記者

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  • ▲東京オリンピックのメインスタジアムとなる新国立競技場。ザハ・ハディドの原案を廃棄して国際コンペをやり直すという騒動の末に、日本の建築家・隈研吾が設計者に起用された。木と草をコンセプトに掲げ、日本的な美を強調した。/写真=朝鮮日報DB
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