6・25国軍捕虜のイ・グィセンさんについては、炭鉱の採炭工として働き、妻も国軍捕虜だったという。Yさんは「イさんの1959年生まれの息子イ・ビョンチャンも坑道で働いた」と語った。同じく国軍捕虜のク・バングさんについては「大邱出身の国軍将校だと聞いた」「妻はおらず、1960年生まれの息子ク・ビョンサムと共に暮らしていて、1980年代中盤に亡くなった」と語った。このほかにもYさんは、同じ町に暮らしていた国軍捕虜としてイ・ヒョンジェ、ミン・チェギ、ミン・ビョンオン、パク・サンリョン、キム・チャンヒョン、ソン・ギョンボクという6人の名前を挙げた-とチェ代表は伝えた。
数万人の国軍捕虜が北朝鮮の最下層身分に属し、各種の差別を受けながら奥地の炭鉱・鉱山で子孫ともども強制労働に苦しんでいるという話は、間欠的に伝えられてきたが、こうした人々と20年近く一緒に過ごした北朝鮮人が国軍捕虜のリストやその家族関係を具体的に証言したのは初めて。北朝鮮人権市民連合などの調査によると、炭鉱に強制動員された国軍捕虜は毎日3交代で24時間石炭生産に追い立てられたという。交代勤務を終えてようやく食券が配られるが、それすらも一日の割当量(採炭工の場合、およそ10トン)を満たした場合にのみ許され、休日は1カ月に1日だった。彼らの子どもは、午前中のみ学校へ通い、午後は線路に落ちた石炭拾いに動員されるという。
Yさんが彼らの生死を最後に把握したのは2005年だったという。クさんを除く8人が、当時も生存していたというのだ。だがそれから16年が経過した現在、彼らの生存はかなり困難な状況だ。チェ代表は「国軍捕虜問題は至急であるということを韓国政府が切に感じ、今からでも北朝鮮への生死確認要請をはじめ積極的な行動に出るべき」と語った。