そうした中、李教授が当時の日本の教科書42種類を分析した結果、当然「東洋史」に含められるべき韓国史が、とんでもないことに「日本史」に属しているという事実を知った。『本邦史綱』(1900)、『日本歴史教科書』(1902)、『統合歴史教科書』(1907)などはいずれも、西暦3世紀に神功皇后が韓半島を「征伐」したという『日本書紀』の記録を目次に収録し、以後の韓半島の歴史は「韓土の変遷」「韓土の反乱」「百済・高(句)麗の滅亡」「渤海の入貢」などとして、全て日本史の中で日本に服属した国の歴史のように記述した。
神功皇后の「征伐」の物語は、古代日本が韓半島を支配したという、いわゆる「任那日本府説」の母体となったが、今では日本の学界でも伝説あるいは捏造(ねつぞう)とみている。しかし当時の日本は、これを「定説」と受け止め、「日本史」に収録していたのだ。
「その結果、『韓半島の歴史は既に古代において日本に服属した歴史であって、中途離脱を正さねばならない日本史の一部』になった」と李教授は語った。こうした歴史記述の中では、豊臣秀吉の「朝鮮征伐」(文禄・慶長の役)もまた「正すための試み」となる。「1912年に出た教科書では、韓国侵略の大詰めに当たる1910年の韓日併合について『その間の誤った韓日関係が元に戻った』と説明しました。歴史学という学問が侵略の当為性を裏付けてやったのです」
李教授は「歴史歪曲(わいきょく)が実際の侵略の前段階になったという点を、今も警戒すべき」とし「こんにちの日本の極右は当時の歴史認識から大きく変わっていないという点もまた、注目する必要がある」と語った。
兪碩在(ユ・ソクチェ)記者