伽耶の墓と発表したのに遺物はなぜ新羅のものなのか

盗掘されたことのない昌寧・校洞古墳、金銅冠など新羅の装身具が次々と

 殉葬の痕跡もあった。墓の主人公の足元部分に当たる地面をおよそ40センチ掘り下げた空間に、殉葬者2人が安置されたものとみられる。殉葬者のものと推定される歯の一部や足の骨の一部、金銅製細環1点、つぼ2点、鉄斧(てっぷ)2点などが出土した。

 研究所は「装身具は新羅系の遺物だが、墓の構造は典型的な伽耶様式」だとして「非火伽耶の支配勢力が新羅から受け取った威勢品を埋めたか、新羅スタイルを模倣して自ら作ったものでもあり得る」と説明した。

 だが学界からは「金銅冠など装身具を着装する方式が新羅の墓の様式と一致しているのは、昌寧一帯がこの時期、既にはっきりと新羅に編入されていたという証拠」という反論が出た。イ・ハンサン教授は「昌寧古墳群は学界で伽耶か新羅かを巡って論争が続いてきたが、今回の発掘で新羅だということがさらに確実になった」とし「墓の様式は最も保守的なものなので、新羅に編入された後もその地域固有の風習が残っていることもあり得る」と語った。研究所は来月5日に、動画サイト「ユーチューブ」の国立文化財研究所チャンネルを通して、発掘作業を録画した動画を公開する予定だ。

許允僖(ホ・ユンヒ)記者

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  • ▲慶尚南道昌寧郡校洞63号墳の石槨(せっかく)内から金銅冠、金耳飾、玉の頸飾(けいしょく)など被葬者の装身具が露出している様子。/国立伽耶文化財研究所
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