ヘイムリ所長はゴレリック元副長官に「議会と大統領は選挙を経て正当性を得るが、司法府はそうではない。司法府の正当性はどのように形成されるのか」とも質問した。ゴレリック元副長官は「司法府は政治を超越しているかのように見せることで正当性を得ている」「判事たちが政党の利益を代理するものと認識されると、米国人たちは司法府に必要な信頼を与えないだろう。その信頼こそ司法府が持っているもののすべてだ」と答えた。
米国社会でこのような議論が行われているのはもちろん、米司法省が、そして司法府が大統領と政治に振り回されているという問題意識があるからだ。しかし、少なくとも米国では、「法治」と「法による統治」がどのように違うかという討論が行われている。「大統領」ではなく「国民と憲法」に使えようと努めている官僚も目にする。
最近の韓国政府に、法務部に、司法府に何が起こっているのかを逐一言う必要はないだろう。ただ、質問したいし、質問しなければならない。今、韓国は「法治」社会なのか、それとも「法による統治」が行われている社会なのか。韓国の行政府と司法府の顧客は大統領なのか、それとも国民と憲法なのか。
ワシントン=金真明(キム・ジンミョン)特派員