【寄稿】光復節の朝…朴正煕、金大中、そして日本に対する自由を考える

エーリッヒ・フロムと『自由からの逃走』

 こんにち韓国が日本と肩を並べていられるようになったのは、消極的自由を守るため門を閉ざして鍵をかけていたからではない。1965年に朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が産業と経済の門戸を開放し、98年から金大中(キム・デジュン)大統領が大衆文化の窓を開いたことで、こんにちの大韓民国が可能になったのだ。その結果、植民支配を行った国と植民支配を受けた国が対等の位置に立った。米国と英国あたりを除けば、人類史上に類例を見出し難いケースだ。日本「から」の自由にとどまらず、日本「に対する」自由を韓国国民が享受するようになったおかげだ。積極的自由の奇跡なのだ。

 消極的自由の価値を過小評価はできない。だが、消極的自由にのみ執着していたら真の自由は得られない。ジャベールは、その罠から逃れられなかった。誰が法を破ったか、すなわち監獄に行くべき人間か、そうでないかのみが彼の関心事だった。快く他人のため犠牲になり、許しを与える積極的自由を、ジャベールは想像してみたこともなかった。だから、自分が犯罪者のジャン・バルジャンに許され、感化され、ついにはジャン・バルジャンを解放までしてやったという事実を受け入れられなかった。「ジャヴェルを驚かした一事は、ジャン・ヴァルジャンが彼を赦したことであり、彼を茫然自失せしめた一事は、彼自らがジャン・ヴァルジャンを赦したことであった」(『レ・ミゼラブル』岩波文庫版、豊島与志雄訳、1987)。最終的にジャベールは、自由から逃走するため、自ら命を絶ってしまった。

 韓国は日本の植民地だった。解放されて75年目、韓国は先進国に向けてどんどん進みつつある。植民支配を行った国と肩を並べる被植民支配国として、人類史の新たな場を開いていく誇らしい大韓民国だ。なのに、ある人々は日本に対する消極的自由のみを叫ぶ。まだ韓国を日本の植民地だと思っているかのようだ。まるで、ジャン・バルジャンを最後まで前科者としか銘記していなかったジャベールのような話だ。当の国民は消極的自由を越え、積極的自由の世界に進んで久しい。来年の光復節は、より未来志向的な日になることを希望する。

ノ・ジョンテ(哲学エッセイスト)

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