Sさんは2004年から尹議員と縁を結んだ。Sさんは今年3月、フェイスブックへの投稿で、「尹氏と会ったのは2004年5月」であり、「休養施設で寝泊まりする人が必要だというので、釜山からソウルへと上京した」と明かした。そして、「(尹議員が)突然共に市民党の比例代表に出馬するという話を聞き、お祝いして支援しなければならないが、わけもなく残された心が重い」と書いている。
尹議員も昨年1月にフェイスブックでSさんに言及した。尹議員は「給与は80万ウォン(約7万3000円)しか差し上げられないが、それでもいいということだった。それで私たちは出会うことになった」と振り返った。尹議員は同じ文章を6日午後に投稿した後、すぐに削除した。そのタイミングで尹議員がSさんが死亡した事実を知ったのかは確認できていない。
Sさんは正義連の休養施設に泊まり込み、施設を管理し、被害者の世話も行ってきた。Sさんの坡州市の自宅周辺に住む住民は「昨年1月ごろに引っ越してきたが、灯りがついているのを1回しか見たことがないほど、家には戻っていないようだった」と話した。麻浦の休養施設で暮らす慰安婦被害者は一時3人いたが、徐々に世を去り、今は吉元玉(キル・ウォンオク)さんだけだ。
尹議員は17年4月、慰安婦被害者のイ・スンドクさんが死去すると、フェイスブックなどにSさんの個人口座を「弔慰金口座」として公表し、金銭を集めた。当時インターネットメディア「メディアモング」もSさんの氏名と口座番号が書かれた通帳の写真をツイッターにそのまま掲載し、「資金は全額葬儀費用に使われる予定だ」と伝えていた。尹議員以外で個人口座で慰安婦被害者の葬儀費用を集めた正義連関係者はSさんが唯一だ。