女性職員に対するセクハラの疑いが持たれている呉巨敦(オ・ゴドン)前釜山市長が、令状実質審査で「記憶にはないが容疑は認める」などと話したという。4月7日にセクハラ行為をして、その直後に被害者が性暴力相談所に通報すると、(呉元市長は)「4月15日の総選挙後に辞任する」との文書を作成し公証まで受けた。4月23日に辞任した後は、警察の捜査を受けてきた。記憶にないはずがない。
「記憶にはないが容疑は認める」というのは「そんなことをしたのかしていないのか分からないが、した」と言っているのと同じだ。このように矛盾した、かつ荒唐無稽な発言が出てくるのは、かなり計算されているからだという。容疑を認めてこそ、逮捕を免れるのに有利になる。しかし「記憶にない」と発言しておくことで、後の裁判で嫌疑内容について争うことができる。
ほとんどあり得ないことだが、本当に思い出せない可能性もあるという。あまりにも衝撃的な事態に直面した人間が、頭の中からその記憶を消し去るケースもあるというわけだ。同じうそを数十回、数百回も繰り返した人間が、後にそれがうそなのかどうなのか、自分でも混乱してしまうのと同じだ。呉前市長は頭の中からその出来事を消してしまったのかもしれない。その呉前市長は辞任後、雲隠れしていたが、巨済島で取材陣に出くわすと「人違いです」と言った。「私は呉巨敦ではない」と考えているうちにそれが頭の中で固まってしまったのでなければ、うそをついたことになる。「セクハラは記憶にない」という発言もうそなのだろうと思う。
ハン・ヒョンウ論説委員