■日本植民地時代に私財を投じて文化財を守り抜いた澗松
澗松美術館は、1938年に設立された韓国初の私立美術館だ。日本の植民地時代に澗松全蛍弼(1906-62)が文化財の収集に向け献身的に守り抜いた遺物という象徴的意味合いが大きい。国宝「訓民正音解例本」をはじめ、謙斎鄭〇(〇は善に父)の「海嶽伝神帖(ちょう)」を所蔵し、申潤福の「恵園伝神帖」を玄界灘を渡って持ち帰ったストーリーは感動的だ。最高の文化財を保有する美術館だが、「隠遁(いんとん)の美術館」というイメージが強かった。1971年から毎年春と秋に開かれる特別展示会でのみ美術館をオープンしているためだ。施設が老朽化したのに加え、展示空間が狭いことも問題だった。
2代目の澗松美術文化財団のチョン・ソンウ理事長を経て、3代目の孫のチョン・インゴン館長が受け持って変化を試みた。2014年から東大門デザインプラザ(DDP)と5年にわたる協業で外部展示を行い、城北洞の宝華閣の横に新館を建て、大邱に分館を設けるなど、青写真を発表したものの、難航を余儀なくされている。
■国宝・宝物も販売できるのか
「国宝」や「宝物」などの国家指定文化財も、個人所蔵品の場合は所有者の変更申告さえ行えば売買できる。文化財保護法によると、国外に持ち出さない限り、所有者の変更を文化財庁に届け出ることで売買が可能だ。西原大学のイ・グァンピョ教授は「文化財の歴史から見ると、澗松が守り抜いてきた遺物をどうやって売るかという見方があるが、認識の転換も必要だ」とし「海外の博物館では所蔵品を売買するのが社会的に容認されているが、韓国では商売だという話がまずは持ち上がる。澗松が所蔵品を売って美術館の建物を建て、より良い観覧環境をつくることができれば、否定的に見ることもない」と述べた。
ホ・ユンヒ記者