「安重根の遺体、キリスト教墓地に埋葬」ロシア紙報道、韓国国家記録院が初確認

 死刑を宣告された裁判で安義士が見せた威厳ある姿を詳細に伝えた記事もあった。プリアムーリエは1910年2月27日付の記事で「全ての朝鮮の人々が伊藤を嫌悪し、朝鮮民族の敵である伊藤を悪事の舞台から一日も早く追い出すことが我々の義務だ」という安義士の最後の陳述内容を紹介した。記事は「皆が彼(安義士)に心引かれる様子だった。暗殺者は極めて落ち着いて見えた」とし、安義士を英雄視して表現した。

 独立運動史を研究する朴桓(パク・ファン)水原大社会学科教授は「当時ロシアには露日戦争の敗北で反日感情がかなりあり、ロシアの租借地だったハルビンは敗残兵が集まる拠点だったため、ロシアでハルビン義挙のニュースが喜ばれた可能性もある」と指摘した。安重根義士記念館のイ・ジュファ学芸研究チーム長は「安義士の生涯の知られざる部分を研究する手がかりになる」と述べた。

 今回公開された記事には、安義士の遺体が埋葬された場所に言及するものもあった。ウスリースクで発行された「ウスリースカヤ・アクライナ」は1910年4月21日付の記事で、朝日新聞の記事を引用する形で、安義士の殉国を報じ、「死刑が執行された後、棺は地域のキリスト教墓地に運ばれた」と書いている。キリスト教墓地という具体的な表現が見つかったのは初めてだ。安重根義士記念館は「現地の研究員に急きょ確かめてもらったところ、1880年代にデンマーク人が旅順にキリスト教墓地をつくり、現在も一部が残っている事実を確認した」とし、「早期に現地調査を行う」と説明した。

鄭智燮(チョン・ジソプ)記者
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