【コラム】韓国文化財庁がでたらめに復元した「高宗の道」

 朝鮮光海君(朝鮮王朝第15代王)時代に記された「宣祖実録」は、宣祖が即位した1567年から文禄の役の開戦直後である1592年4月にかけての25年分の史料を史官らが燃やして逃亡したため、大きな問題となった。その上、光海君時代の与党である大北派が手掛けた宣祖実録は、自画自賛と野党批判の一色でつづられていた。仁祖(朝鮮王朝第16代王)から孝宗(朝鮮王朝第17代王)の時代にかけて、この実録を再編修したのが「宣祖修正実録」だ。編集責任者である大提学(王の諮問機関の統括者)蔡裕後は「一時代をひきょうにも継ぎはぎした部分に対し、修正するほかなかった」と説明した。ところでそのひきょうな記録を蔡裕後は「新旧本を全て保存して参考にするようにした」(1657年10月5日「孝宗実録」)。間違いを認めて修正し、間違いまでも保存すること。歴史を記録する正しい姿勢は、こうして歴史に記録される。

 俗に言う「高宗の道」の調査から発表、復元に至るまで、文化財庁が見せた行動は、歴史を記録する正しい方法ではなかった。間違いに気付いていながらも修正せず、間違いを基盤として歴史の復元作業を強行した。これも記録されることだろう。

パク・チョンイン旅行文化専門記者

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