子どものころの岩井さんは、縄跳びをさせたら足に引っ掛かり、跳び箱には顔から突っ込むという運動音痴。怖がりで気が小さい一人息子を心配した両親は、おもちゃの代わりに、実際にトンテンカンとできる工作道具を握らせた。ちょうどテレビで月探査船の打ち上げシーンを見た岩井さんは、紙を切り貼りしてロケット型のたこを作り、空に浮かべた。「としお1号」だった。その後、1985年の第17回現代日本美術展で大賞を最年少受賞し、メディアアーティストになった。三鷹の森ジブリ美術館の映像展示や携帯用ゲーム機「ニンテンドーDS」のアートソフトを手掛け、ヤマハと共同で「音と光を演奏する」楽器を開発した。東京大学先端科学技術研究センターの特任教授も務めた。
仕事に追われて気配りができなかったころ、小学生の娘が数字を覚えられずにいた。父親として何ができるか悩んだ末、星が好きな少女が100階建ての家に招待されて冒険するという「100かいだてのいえ」を描いた。「テレビやゲームは、子どもがただ見るだけでいいが、絵本はページも少なくて余白が多く、本には描かれていないことを想像し続けないといけない。読んでいる人間が主人公」。空想が大切な理由は「大人になって花屋をやるとなっても、『こんな店なら面白いだろうな』と夢を育んでこそ注目を集め、成功もできる」から。「壊れても、倒れても、自分だけの想像の筋肉を育んでこそ、起き上がりこぼしのようにまた立ち上がれる」