最初から「公務員ランナー」を目指していたわけではない。川内は子どものころ、母親の指導を受けて陸上競技を始め、高校時代まで学校の陸上部で活動した。しかし、けがや不振が重なり、大学陸上部からは声がかからなかった。川内は学業成績により学習院大学に入学、政治学を学びながら1人で練習を続けて駅伝大会やマラソン大会に出場した。大学卒業後は埼玉県の公務員になり、通常の勤務をするかたわら、さまざまなマラソン大会に出場した。川内の所属は実業団陸上部がない「埼玉県庁」だった。公務員であるため金銭的な支援を受けられないという恵まれない環境にもかかわらず、川内は徐々にタイムを縮めていった。その情熱に動かされた埼玉県庁が後日、支援に乗り出した。川内は2011年の東京マラソンで3位になり、14年の仁川アジア大会にも日本代表として出場、銅メダルを手にした。今回のボストン・マラソンにはこれまでの国際大会の成績を認められ、エリート・グループで走った。川内は試合前日、必ずカレーを食べるという。高校時代のチームメイトの習慣を自分も取り入れたそうだ。
川内は優勝インタビューで「26年間走ってきたが、これまでで今日が最高の日」と言った。ところが、幸せそうな顔で質問に答えていた川内が突然、少し心配そうにこう語った。「実は私が勤めている高校は今年100周年を迎えます。最近は記念誌を作るのにかなり忙しくて…早く帰って仕上げなければ」。スーパーマンはすぐに日常に返った。