外国人たちは果たして文大統領の誕生日を祝う広告を見て何を考えただろうか。もし、「コリア(Korea)」という単語を見ていなければ、文大統領をどこの国の大統領だろうかぐらいにしか思わなかっただろうか? どこの後進国の独裁者だろうかと誤解したのではないだろうか? このような心配をせずにはいられない。
「ニューヨークの電光広告を作る際に公務員が先頭に立ったわけでもないし、国の資金が投入されたわけでもないから、そこまで心配することはない」と言う人もいるだろう。しかし、このような事情をよく知らずに広告だけを見る外国人の目に、韓国という国や文在寅大統領はどのように映っただろうか?
文大統領の誕生日プレゼントをめぐって巻き起こっている騒動はこれだけではない。支持者たちが「平和オリンピック」をポータルサイトの人気検索ワードに浮上させてプレゼントしようと提案し、「平壌オリンピック」という検索ワードと競い合ったことも、大統領に対する過剰な愛情がもたらした突発事故としか言いようがない。ただでさえ南北合同チーム問題で二分されてしまっている民心に、「平和」と「平壌」という渡れない川が新たに横たわったからだ。大統領を尊敬し、愛する気持ちから特別なプレゼントをしたかったのだろうが、想定外の結果を招けば、プレゼントを受け取る大統領にとっても負担になるだろう。
このため、与党内部でさえ文大統領に対する熱狂的な支持の副作用を懸念する人が少なくない。「大統領の最側近」といわれる楊正哲(ヤン・ジョンチョル)元大統領府広報企画秘書官までもが「ありがたいのはありがたいが、負担になったのも事実だ」と言ったのだから、よほどのことだろう。
これら支持者の愛情が「自然人・文在寅」に対するものであるならともかく、「大統領・文在寅」に対するものなら話は違ってくる。大統領本人だけでなく、支持者の言動も大統領のレベルを物語るものであり、それはそのまま国の品格につながるからだ。
シン・ドンウクTV朝鮮『ニュース9』アンカー