中世の日本では仏教が流行しており、韓半島(朝鮮半島)の仏教文化財を羨望(せんぼう)した。一方、儒教を国教と定めた朝鮮は、仏教を邪道として排斥した。大蔵経のような貴重な文化財に対してさえ、きちんと保管しなければならないという考えがなかった。臣下の中には「異端の書は燃やして捨てるべきだが、あっち(日本)が欲しいと言っているから、惜しむことなくやってやろう」とまで言う者までいた。
日本にある韓国の文化財は数十万点に達すると推定されている。特に壬辰倭乱(文禄・慶長の役)や日本による植民地支配時代に奪われていった物が多い。対馬の仏像は略奪品であるかもしれないし、そうでないかもしれない。しかし、泥棒が盗んできた仏像を裁判所が推定だけで「日本に返す必要はない」と判断したことは、別の問題を引き起こす。法ではなく「愛国」に基づいて判決を出したとすれば、より大きな災いとして跳ね返ってくるかもしれない。まずは韓国側の正当な文化財返還要求に冷水を浴びせる可能性がある。米紙ニューヨーク・タイムズもこの判決に関心を示した。今や他国の人々が韓国をどのように見ているのかも考えなければならない。それだけの国に韓国はなったのだ。