【コラム】韓国文学のアキレス腱・李光洙

 植民地時代末期、春園が「内鮮一体」を掲げた総督府の施策を広報する先頭に立ち、日本留学生を対象に学徒兵への志願を促す演説を行ったのは、明らかな事実だ。しかし、こういう説明もある。金祐銓(キム・ウジョン)光復会元会長は、1943年11月に京都で李光洙の学徒兵勧誘演説を直接聞いた経験を持つ。金・元会長は2014年、本紙のインタビューで「『君たちが犠牲になってこそ、わが民族は差別を受けず、穏やかに暮らせる。朝鮮民族のために戦争へ行くべし』と説いた」と語り、李光洙の「親日」に民族のための「苦悶(くもん)」を見た-と振り返った。この演説を聞いて志願入隊したものの、後に脱走して光復軍に合流した独立運動家の言葉だけに、重みがある。学界の重鎮、金容駿(キム・ヨンジュン)高麗大学名誉教授も「春園の小説を読むことで、『皇国臣民』の世界から抜け出すことができた。春園を親日文人とののしる記事を見るたびに私は、彼を責めることはできないという思いを抱く」と語ったことがある。木を見て森を見ない、偏狭な歴史認識を懸念したのだ。

 「春園・李光洙」と聞いたら「親日派」を思い浮かべるこのごろの世代にとって、李光洙は「忘れられた作家」だ。文学研究者でもなければ、『無情』など李光洙の作品をひもとく人間もいない。韓国には、李光洙の文学と生きざまを完全に振り返ることができる文学館すら満足に存在しない。李光洙がどういうわけで親日の道へ入ることになったか、その過程をめぐる苦悶と省察もなしにののしるだけで、克日になるのだろうか。

 最近公開された映画『密偵』は、親日と独立運動の間で揺れ動く警察幹部を主人公(ソン・ガンホ)に据えた。総督府の警務部長が、義烈団に協力した疑いを掛けられていた主人公をあらためて懐柔するラストシーン。ソン・ガンホの揺れるまなざしは圧巻だった。韓国知識人社会の水準は、映画館を訪れた600万の観衆の目線よりも下のレベルなのだろうか。

金基哲(キム・ギチョル)文化部長
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