例えば1995年に発生した阪神淡路大震災では、救助されて助かった人のうち、消防官や警察官、自衛隊員に助けられた人は全体の23%(3万5000人中8000人)で、残りは近所の人によって助けられた。建物や家具などに押しつぶされ危うく命を落としそうになった人も、そのほとんど(95%)が自力ではい出すか(35%)、家族(32%)や隣人(28%)に助けられていた。
そのような考え方に基づいてまとめられたものが地震防災マニュアルだ。日本政府と地方自治体はいつ、どこで、どのような災害が発生するかを科学的に分析し、「最悪」のシナリオを想定する。活断層がどこにあるか、原発からどれくらい離れているか、住宅地の地盤はしっかりしているか、津波は地震発生から何分後にどこに到達するかを全て予測し、避難の要領を分かりやすい言葉で説明している。
1980年代から日本社会を見つめてきた焼酎メーカー真露の楊仁集(ヤン・インジプ)社長がある日、東京都港区が作成した外国人向けの災害対応マニュアルを見せてくれた。手のひらサイズに小さく折り畳めるこの1枚の紙には、災害時の避難の要領や、いざというときに使える日本語が書いてあった。例えば緊急時、日本語ができなくとも「助けて」と叫べば日本人にも分かること、そしてハングルやローマ字などでその発音の仕方などが書かれていた。
このマニュアルを作ることが日本政府の仕事だとすれば、その内容を理解し自分と周りの人たちを助けることは日本国民の役割だ。5年前の東日本巨大地震の際、楊社長の隣に住む日本人の主婦がヘルメットをかぶって外に飛び出し、楊社長に「外国人ですよね。断水に備えて浴槽に水を入れておいてください」と言ってくれたという。楊社長はその時、日本という国の力強さを改めて実感したそうだ。